2012年5月18日 (金)

野田佳彦くん、スーツはいつも、B層仕様




 < 2012.05.16 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120516/plc12051620370014-p1.htm

 
天皇、皇后両陛下訪英の見送りを終え、首相官邸に入る野田首相=16日午前


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 野田佳彦くん、オジサンは、きみの安っぽいスーツ姿を見るたびに、いつの間にか、きみに対して、憐憫の情を抱くようになりました。

 近頃は、就活のお兄ちゃん、お姉ちゃんでも、きみのようなヨレヨレのスーツ、着ていないんじゃないのかな。

 最近のリクルート用スーツは、超安価でも、素材は、防シワ加工ですからねぇ。

 野田佳彦くん、きみは、日本国の第95代総理大臣です。

 なのに、9ヶ月経っても、一目でシワがもろ目立つリクルートルックで、天皇、皇后両陛下をお見送りしているようじゃ、ご皇室に対しても、非礼極まりないというものです。

 それともなにかな、これは、ご皇室の前では、わざと、低クォリティーのスーツを着用して、ご皇室を卑下したい、という、きみ独自の確信的パフォーマンスなんですかな。

 と、一般人のオジサンでさえ、捻くれた考えを抱きかねない程、就任以来、相も変わらず見た目「2着2万円」風スーツを、恥ずかしげもなく、着続けている、野田佳彦くんであります。


 < 2012.05.15 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120515/plc12051500560003-p1.htm

 
日中韓ビジネスサミットでスピーチに向かう野田首相。右は、中国の温家宝首相=13日、北京の人民大会堂


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 こちらも、そうですな。

 折角の晴れの舞台ですから、15億人中国人民の前で、足を長く見せるために、無理して大股で歩き始めたまではよかったのですが、如何せん、野田佳彦くんのおスボンが、シワヨレ現象です。

 北京も内陸性気候で、この時期は30度近くですから、野田佳彦くん、恐らく、夏服を着ているんだと思いますが、夏服って、仕立てが安いのは、すぐヨレヨレになりますからね。

 まさか、この日の野田佳彦くん、洋服のア??マとかの量販店の、吊しの既製のお洋服、とは想像したくありませんが、オーダー物にしては、彼のおズボン、折り目も見えないし、腰から足もとまで、全く、フィットしておりませんなぁ。

 序に、一枚目の写真について言及するなら、仮に、オーダーメイドだとしても、ボタンを止めたとき、腹廻りが、ちょっと窮屈な感じが、オジサン的には致します。それとも、佳彦くんが太ったから?


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 続いて、これなんかも、そうです。

 スーツの色合いは、とってもいいんですが、見た目、どうも、スーツ全体の仕立てに、パリッとした感じがありません。

 で、よく細部を観察してみると、両腕、ポケット部分、ベルト部分が、シワというよりも、生地そのものがヨレているというか、Yシャツに例えれば、糊がきいていない状態、という感じに見て取れます。

 着古している感じはしないので、吊しの安物の可能性も、あります。

 背広は、男性にとっては「日々の勝負服」です。

 社会人なりたての若い男性であろうが、社会人大ベテランであろうが、商談相手が、一瞥して、アイロンもかけていないと分る、シワが目立つスーツを着て面談に臨んできた場合、オジサンの過去の経験からすると、99%、相手のビジネスセンスと交渉能力に、感服したケースは、ありませんでした。

 野田佳彦くんは、29才の時、当時最年少で千葉県議会議員に当選し、以来、二十数年、背広を着用し続けて、総理まで昇りつめた政治屋です。

 その視点からすると、野田佳彦くん、自身の着る洋服に、どうしてこうも無神経なのか、オジサンには、不思議でなりません。

 政治屋なんて、ビジネスマン以上に、見た目こそが勝負の職業の筈です。


 < 2012.05.10 衆院本会議 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/10syuhon.html


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 こちらなんか、ちょっぴり大胆気味に胸元開けた縦じまシャツの、完全に、マフィア流クールビズファッションです。

 それにしても、この写真の頤の下にチラリ見える赤いものは、何でしょう。

 商品タグ? 

 まさか、野田佳彦くん、赤い下着なんて、着てませんよねぇ。

 で、極めつけは、オジサンのブログでは、たびたびご披露している、こちらの2枚の画像。


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・APEC、総理のズボンが、しーわシワ
 http://wachauf.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/apec-5355.html


 野田佳彦くん、オジサンは、きみに、何も、アルマーニやダンヒルのスーツを着れ、と、言っているのではありません。

 第三者を相手に、ハードなネゴシエーションをしなければならない時は、ヨレヨレっぽいスーツや、シワシワのズボンでは、実社会では、相手にされないんです。

 靴もピカピカに磨いていないと、見下されるんです。

 こういう常識は、仕事がスタートする以前の問題、なんです。

 ウリは庶民派総理だ。だから、千円カットハウスに通って、吊しの格安スーツ着て、頑張っているんだ、と、きみが、いくら、声高に主張したって、そんなことに耳を傾けてくれるのは、ミンス党員とミンス支持者の自漏労と日狂祖と在日の皆さまだけです。

 世界のトップリーダーたちは、逆に、服装こそ命。

 きみが愛してやまない「Kの国」だって、そうでしょう。

 中味なんて、どうでもよくて、兎に角、見た目第一。

 なのに、何故、きみは、いつまでも、B層ルックに、拘るんだい?

 服装一点をもってしても、健全な日本国民はもちろんのこと、世界のトップリーダーたちも、最早、きみを相手にしていないことを、今直ぐ、きみ自身が気がつかないようだと、きみは、9月の代表選まではもたない、と、オジサンは思うぞ。

 とはいっても、きみ自身、ナムの意見や考えなど、絶対に聞き入れる人種ではないから、オジサンにはどうでもいいことなんだけど、官邸機密費も渡航費も潤沢なんだからさぁ、たまには、三越本店で、1着、百万円のスーツでも作って、お靴も、ピッカピカのイタリア製買って、胡錦濤と李明博に向かって、胸を張って、正々堂々と、真正面から、「国交断絶します」と、声闘してみては如何ですか。

 えっ、「どじょうが金魚のまねをしても無理」ですって?(2012.04.23 TBS自主製作、野田佳彦プロパガンダ番組)


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 ハイハイ、分りました。

 じゃあ、今日からのキャンプ・デービッドのG8、頑張って下さいね。

 それと、仁実夫人も、いつまでも引き籠りしていないで、ファーストレディ外交に、不退転の決意で、夫唱婦随で、政治生命をかけるように。

 くれぐれも、最後の外遊になりませぬよう、日本国民一同、野田佳彦ご夫妻のご健闘を、お祈り致しております。

 最後に、集合写真は、オバマの隣をゲット、するように。

 ヒカルゲンジくんは、先月のG8外相サミット、予想通り、一番ハジッコ、だったもんね。


 < 玄葉外務大臣のG8外相会合出席(外務省) >
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/photo/24/0412.html


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 では、皆さま、佳彦くんがお留守の間は、定番のこの曲を聴いて、安息の日々を過しつつ、明日への英気を、大いに蓄えておきましょう。

 http://www.youtube.com/watch?v=uhR6lrbw35I


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2012年5月17日 (木)

野田佳彦くん、せめて給料分ぐらいは、日本のために働こうね




 < 2012.05.15 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120515/stt12051521160009-p1.htm

 
沖縄復帰40周年記念式典後、囲み取材に応じる野田佳彦首相

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 一昨日は、沖縄日帰り出張、大変、お疲れさまでございました。

 総理用の、特大リボン、とってもお似合いでしたよ。

 ブルーリボンも一緒に着けていたら、満点でしたね。

 極左の本拠地だから、恫喝でも、されましたかな?

 今年の1月3日から、折角、ずっと着け続けていたのに、ブルーリボン着用連続記録「133日」で、ストップしてしまいましたね。

 まぁ、また、新記録目指して、頑張って下さい。

 野田佳彦くん、今回の沖縄日帰り出張は、ど~んと、交付金プレゼントしてきたから、自画自賛の大満足だったでしょう。


 < 2012.05.15 産経朝刊 >

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 どうやら、きみの大盤振る舞いも、大分、板についてきたようです。

 昨年10月の日韓スワップ協定700億ドルに始って、ASEAN諸国インフラ整備に2兆円、中国国債購入に100億ドル、日イスワップ協定に150億ドル、インドインフラ資金に62億ドル、IMF増資600億ドル、メコン流域諸国ODAに6,000億円、ミャンマー円借款3,000億円の債権放棄、アジア諸国の資金融通枠に2,400億ドル、韓国国債購入に数百億円、それに、今回の沖縄の3,000億円と、総理就任たった9ヶ月間で、もう、誰にも止められない勢いです。

 で、上記金額合計は、1ドル80円換算で、なんと、35兆2,960億円+数百億円。

 一方、昨年成立した復興財源法での東北の復興資金は、当初の5年間合計で、19兆円、年間ベースでは、3兆8.000億円です。

 さらに、言及するならば、24年度の防衛費予算は、4兆6,453億円。

 借金をしてまでも、「ええかっこしい」をしたがる野田佳彦くんの「Kの国の法則」、正に、健在ですな。

 Kの国では、その借金も、当初予定通り踏み倒して、ケンチャナヨとなるのがデフォなんですが、さてさて、野田佳彦くんは、どうするのやら。

 憎きチョッパリを財政破綻に追い込ませたいのか、それとも、ポーズだけは、消費税増税を隠れ蓑に、己が蓄財利権を享受したいのか・・・・。

 野田佳彦くんの目的がどうであれ、税金をきちんと払わざるを得ないオジサンのような一般庶民レベルは、夢の中では、毎晩、きみを「グーで殴っている」状態が続いているんですが、きみは、知っているかな。


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 でもね、野田佳彦くん。

 きみは、「Kの国の法則」通り、現在進行形の現実の姿は、全てスルーして、きみ自身が思い描く、ファンタジーな仮装現実の世界へ、この日本を誘導したがっているんだろうけど、半島ではそれが通用しているけど、民度の高いこの日本では、その手法は、だれにも相手にされないことを、きみ自身も、民主党員も、そろそろ気付いたほうが、いいと、オジサンは思うぞ。

 だって、ドラエモンの「どこでもドア」みたいな便利なタイムマシーンは、この世には存在しないんだから、現実を通り越して、いきなり、理想の未来へ一足飛びなんて魔法の世界を、きみたちは、夢見てはいけません。

 政権後退以来続いてきた、きみたちの、妄想による、強弁と詭弁と偽善と嘘と法律無視の世界は、もう、終りにしませんとね。

 さぁ、野田佳彦くん、現実から逃避しないで、勇気をもって、現実を直視することからリセットして下さい。

 東北の復興、どうするんですか。

 原発、どうするんですか。

 デフレ経済、どうするんですか。

 尖閣、竹島、北方領土、どうするんですか。

 消費税より、特債法などの予算関連法案、成立させる方が、先ではないんですか。

 実態経済は、待ったなし、ですよ。
 
 日経平均も、円ドル相場も、ここにきて、妙な方向へ動きはじめていますしねぇ。


 < 日経平均 >

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 < 円ドル相場 >

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 野田佳彦くん、きみは、この5月20日に、55回目の誕生日を迎えます。

 55才といえば、気力、実力ともに、働き盛り、充実した年代です。

 北京から帰国した早々、沖縄に日帰り出張、そして、5月18~19日は、アメリカのキャンプ・デービッドでG8と、きみの超多忙な日程には、日本国民は頭が下がる思いです。

 感謝に堪えません。

 ですが、ここは、日本の国益のために、踏ん張って頂かないと、困ります。

 ほうら、きみが、最も信頼を置いている今年古希の明博兄さんでさえ、北京から直接ミャンマーに飛んで、派手なパフォーマンスを披露しておりますよ。


 < 2012.05.16 産経朝刊 >

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 おまけに、全米の工作員に、こんな指令も出しました。


 < 2012.05.16 産経朝刊 >

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 野田佳彦くん、きみは、今度のキャンプ・デービッドのG8で、なんと11回目の外遊です。

 きみは、これまでは、本年1月のダボスの世界経済フォーラム年次総会を除いては、国際会議は、オール出席ですが、この9ケ月間、外遊先でやってきたことは、日本国民の税金を湯水の如く使った、超巨額な一方通行のバラマキ政策ばかりでした。

 そんなオカネがあるんなら、東北復興に、廻して下さい。

 尖閣諸島の防衛費に、廻して下さい。

 きみが、これ以上、健全な日本人の国民感情を逆なでするようなことをするなら、お天道さまも、もう、黙って見過しませんぞ。

 それに、オバマくんとは、先月の4月30日、かくたる緊急案件もないのに、連休スケジュール消化対策で、会ってきたばかり。

 たまには、プーチンとオバマのまね事でもしてごらんよ、野田佳彦くん。


 < 2012.05.16 産経朝刊 >

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 それでも、どうしても、キャンプ・デービッドに行きたいんなら、たまには、韓国がやっているような、執拗なロビー工作、やってきて欲しいなぁ。

 そうそう、今回こそ、引き籠りの仁実夫人、連れてってあげて下さいね。


 < 2012.05.15 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120515/kor12051508360000-n1.htm

 
韓国に戦術核の再配備を 北朝鮮に対抗 米下院委が法案可決

 
米下院軍事委員会は14日までに、2013会計年度(12年10月~13年9月)国防権限法案の修正案を賛成多数で可決した。核兵器開発を進める北朝鮮に対抗するため、韓国を念頭に西太平洋で戦術核再配備や通常戦力の増強が必要と指摘する条項を盛り込んだ。

 共和党議員の提案。米国は1991年に在韓米軍配備の戦術核を全て撤去している。オバマ政権は核兵器削減を基本方針としており、民主党が多数を占める上院で可決される可能性は低い。半年後に迫った大統領選や上下院選をにらみ、対外強硬姿勢をアピールする狙いがある。

 修正案は、北朝鮮の好戦的な行動に対し「同盟国の安全保障を確固なものとし、抑止力を強化する」よう大統領に問題提起。韓国を念頭に西太平洋地域への通常戦力増派のほか、戦術核の再配備を含む「さらなる措置が必要」としている。
(共同)



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2012年5月16日 (水)

似非人権派の正体がバレてしまった野田佳彦くん




◆ 結局、胡錦濤の恫喝外交に何も言えなかった、野田佳彦くん


★ 北朝鮮対応盛り込まれず 日中韓共同宣言 日韓と中国の溝埋まらず


 < 2012.05.14 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120514/plc12051411530005-n1.htm

 
【北京=桑原雄尚】日中韓3カ国は14日午前、野田佳彦首相と温家宝中国首相、李明博韓国大統領による13日の北京での会談を受けた共同宣言を発表した。当初は13日に発表する予定だったが、北朝鮮核問題への対応をめぐり文言調整が難航。最終的に北朝鮮対応に直接触れる文言は盛り込まれなかった。(一部引用)

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★ 幻となった日中個別会談 ウイグル会議と尖閣に不快感か


 < 2012.05.14 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120514/plc12051422080013-n1.htm

「前例に従って、日中韓3カ国による首脳会談とする」

 
中国政府高官は13日夜、日本側にこう伝えてきた。首相同行筋は、3年前に北京で開かれた日中韓首脳会議(日中韓サミット)の「前例」を持ち出したことは方便にすぎないと受け取った。中国側は個別会談の拒否を暗に「予告」していたからだ。

 中国外務省高官は5月初め、首相訪中の準備のため北京を訪れた日本政府高官に「日本政府が世界ウイグル会議の開催を認めたら何もかも台無しになる。これは政治的意思だ」と通告していた。日本側が「政府は関与していない」と主張しても、聞く耳を持たなかった。
(一部引用)

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◆ ギブミーチョコレート的笑顔を振りまくしか芸の無い野田佳彦くん


 < 2012.05.14 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120514/plc12051411530005-p1.htm

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 < 2012.05.13 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120513/plc12051320270006-p1.htm

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◆ 世界ウイグル会議開幕、アジアで初の開催


 < 2012.05.14 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120514/chn12051418480004-n1.htm

「絶滅に追い込んでいる」と中国批判 東京で世界ウイグル会議大会

 
中国から亡命したウイグル人の組織を束ねる「世界ウイグル会議」(本部ドイツ・ミュンヘン)の第4回代表大会が14日、都内で開幕した。ラビア・カーディル議長は開会式後に記者会見を開き、2009年7月の新疆ウイグル自治区での暴動を機に「中国の流血政策は激しさを増している。自治権を与えず、ウイグル人を絶滅に追い込んでいる」と中国政府を批判した。

 同会議は04年の設立で、在外ウイグル人の8割が加盟しているとされる。これまでドイツや米国で大会が開かれており、アジアでは初の開催。米国在住の議長を含め、20カ国から約120人が来日した。

 議長は「日本は強い民主主義国家であり、自由と民主主義を求める私たちを支援してくれると思った」と強調した。

 開会式には、日本、イタリア、トルコの国会議員や欧米の人権団体の関係者らも参加した。大会は17日までで、新指導部の選出などを行う。

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 【北京=矢板明夫】中国外務省の洪磊報道官は14日の記者会見で、「中国の強い反対を顧みず(世界ウイグル会議の代表大会)開催を許した」として、日本に「強い不満」を表明した。




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◆ 中国共産党のウイグル民族大虐殺に全く関心のない似非人権派野田佳彦くん


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① ウィグル民族大虐殺 250~300万人

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② ウイグル軍人将校は、全て、消されてしまった

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③ 知識階級、金持ち、商売人は、90%殺された or 行方不明

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④ 30万人が餓死

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⑤ 47回の核実験 → 即死 19万人、直接的影響 170万人

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⑥ ウイグル人未婚女性の中国本土への強制移住、60万人 

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 < 上記出所:2012.04.16チャンネル桜放映 >

・中国軍侵入以来の虐殺者総数「世界ウイグル会議」支援パーティー③
 http://www.youtube.com/watch?v=ox6YAn6xoyw

・資源剥奪・強制移住・言語抹殺「世界ウイグル会議」支援パーティー④
 http://www.youtube.com/watch?v=kSdNC9di1OY

・「世界ウイグル会議」日本大会開催支援
 http://www.youtube.com/watch?v=fpMISj336jc



◆ ウイグルでの中国の核実験「潜入調査」


 
< Death on the Silk Route(1999年BBC製作) >


★ その1
  http://www.youtube.com/watch?v=37sFp3pcPHo

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★ その2
  http://www.youtube.com/watch?v=IDD_R1leVgw

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★ その3
  http://www.youtube.com/watch?v=RikiMyU0yNI

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★ その4
  http://www.youtube.com/watch?v=eeJELPIbfbM

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◆ 確信犯、報道の義務を抛棄した「中国の犬」NHKの大罪


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< 2009.07.07 チャンネル桜放映 >

 ゲスト 高田純(札幌医科大学教授)

 シルクロード核実験の衝撃的な事実が明るみにされます。

 NHKは核実験の現場である事を知っていながら、シルクロード・ロマン番組を制作した!

 NHK出版の書籍に証拠があった!

 ローラン遺跡が最も危険な場所!

 プルトニウム汚染は100年経っても消えない!

 核実験の最中に観光した日本人観光客もいる!

 シルクロード・ロマン番組に誘導された84万人の日本人観光客!

 フランスの核実験に抗議する日本の反核運動は、中国の核実験に沈黙する!


 < その1 >
 http://www.youtube.com/watch?v=zBJxqprOuU0

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 < その2 >
 http://www.youtube.com/watch?v=ZbaVI63FJaI&feature=relmfu

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2012年5月15日 (火)

野田佳彦くんの大得意技「アリバイ作り」日中韓サミット編




◆ 朴、ちゃんと、言えたもんね


★ 日中首脳会談


 < 2012.05.13 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120513/plc12051321140007-n1.htm

 
「尖閣」で応酬 中国「核心的利益」 首相「固有の領土」

 
温首相は「釣魚島(尖閣諸島)は中国領土だ」とする従来の立場も改めて強調。これに対し、野田首相は「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、日本はこれを有効に支配している」との日本の基本的立場を説明した。最終的に両首脳は「この問題が日中関係の大局に影響を与えることは望ましくない」との認識では一致した。(一部引用)

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★ 日韓首脳会談


 < 2012.05.13 時事通信 >
 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012051300227

 
慰安婦問題「前向き対応を」と李大統領=野田首相「知恵絞る」-日韓首脳会談

 
【北京時事】野田佳彦首相は13日午後(日本時間同)、北京市内のホテルで韓国の李明博大統領と約30分間会談した。大統領は旧日本軍の従軍慰安婦問題について直接言及しなかったが、同問題を念頭に「前向きな検討をお願いしたい」と発言。首相は「知恵を絞っていきたい」と応じるにとどめた。竹島問題に関するやりとりはなかった。(一部引用)

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★ 日本国民の皆さまへ

 
 第95代内閣総理大臣の野田佳彦です。

 昨日、北京での第5回日中韓サミットを終え、帰国しました。

 私、野田佳彦は、ここで、国民の皆さまに、きっちりと、お伝えしたいことがございます。
 
 それは、私が、あのこわ~い中国の温家宝首相と、実の兄のように敬愛している韓国の李明博大統領に、面と向かって、日本の国益を、きっぱりと、主張してきたことです。

 温首相には「尖閣は我が国固有の領土だ」と、はっきりとお伝えしましたし、明博兄さんには、「慰安婦問題、前向きな検討をお願いしたい」って、一方的に言われてしまったけれど、昂然と、「知恵をしぼっていきたい」と、理解不能なことを、胸を張って、堂々と、お答えしてきました。

 私って、とっても、偉いでしょう。

 だって、民主党の歴代首相の中では、宗主国トップのお二方様に、面前で、こんなこと言ったのは、私が始めてなんですから。

 ですからね、日本の国民の皆さま。

 私、野田佳彦を、思いッきり、ホルホルして欲しいんです。

 民主党の私が言うのも何ですが、これって、本当に勇気のいることなんです。

 2日間にわたる宿泊先ホテルでのハニトラ猛攻撃にも耐え、悪辣な「カンペー・カンペー」の酔い潰し作戦もクリアーし、お二方の恫喝にもめげず、やっとのことで、蚊の鳴くような声で、日本の国益を主張したんですから。

 えっ、何?

 もっと、きっぱり、具体的に、大声で、声闘しなければ駄目ですって?

 それに、竹島問題、一言も言及していないじゃないか、ですって?
 
 そんな無理難題を仰有らないで下さい。

 私には、これが、精一杯なんですから。

 ですからね、口に出しただけでも、野田佳彦は偉いって、褒めて欲しいんです。

 ねっ、ねっ、お願いします。

 この私を、誉めて下さい、国民の皆さま。

 そうして頂かないと、私の内閣、もう、どうしてよいのか分らなくて、私自身、心が折れてしまいそうなんです。

 お願いします、国民の皆さま。

 私の内閣を、生暖かい気持ちで、全面、応援して下さい。

 ご協力して頂いた暁には、バラマキ政策行使して、たくさ~ん、国民の皆さまに還元致しますから。
 
 政治生命をかけて、しっかり、不退転の決意で、お約束致します。(棒)


 < 2012.05.12 北京出発前 >
 http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220512040.html

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 そ、そ、そうり、おぐしがwwww



◆ 特亜人に交じっても、全く、異和感がない野田佳彦くん


 < 2012.05.13 時事通信 >
 http://www.jiji.com/jc/p?id=20120513170257-2566686&n=1

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◆ ミンスに品性を求めてはいけませぬ > 歴代、日中韓サミット


 < 第1回2008.12.13 福岡 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/asophoto/2008/12/13summit.html

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 < 第2回2009.10.10 北京 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/200910/10summit.html

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 < 第3回2010.05.29-30 済州島 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/201005/30summit.html

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 < 第4回2011.05.21-22 福島、東京 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201105/21jck.html

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◆ 日中韓サミット出席後の「6月2日」に政変は起きる > 二度あることは・・・・


 
♫♫♫「Kの国の法則」ミンス版 ♫♫♫

 
 
< 鳩山内閣総辞職 2010.06.02 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/201006/04soujisyoku.html

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< 管内閣不信任案否決 2011.06.02 >
  (画像:産経新聞)

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< 2012.06.02 野田内閣ブラックデー >

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2012年5月14日 (月)

野田佳彦くんの最強得意技「放置プレイ」全開




◆ 初っ端から「学級崩壊」炸裂 > お喋り、居眠り、退席、遣りたい放題


 < 2012.05.12 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120512/plc12051212010008-n1.htm

 
消費税の行方、そして「節目の日」に起きたこと

 
また「決められない政治」が続くのかと暗い気持ちで8日の衆院本会議を傍聴した。

 3時間も傍聴したのは久々だ。そして、やっぱり暗い気持ちになった。

 「10年に1度の大法案」と言っていい重要法案の審議がスタートする節目の日だった。まず小宮山洋子厚生労働相が登壇し、この日のテーマだった年金関連法案の趣旨説明を行った。拍手もヤジもまばらで静かだ。とても大法案の審議入りという雰囲気はない。

 続いて民主党の長妻昭元厚労相が先頭を切って代表質問を行い、首相が答弁に立った。ヤジを飛ばすのは自民党の大島理森副総裁や伊吹氏らベテラン数人で、まだ静かだった。

 いや、少し様子がおかしい。深く頭を垂れて舟をこぐ議員がいる。1人や2人ではない。数えると480議席中、50人以上はいる。民主党も自民党もだ。静かなわけだ。

 一方で、一生懸命な議員もいた。首相の答弁を聞くのに熱心なのではない。いつものことだが、自席を離れて同僚議員と何やら談笑したり、ペコペコしたり。政策の打ち合わせなのか、紙を持ち出して先輩議員に必死に何かを説明している議員もいる。首相にお尻を向けて。

 政権交代直後は自席を離れることなく懸命に先輩議員の質問や答弁に拍手を送っていた民主党1回生も、今となっては多くの議員が平気でフラフラしている。先輩によく学んだとみられ、立派に成長したものだ。

今度は、さっきまで議員席からヤジを飛ばしていた大島氏が質問に立った。「首相はまずマニフェスト(政権公約)違反の責任を取るべきだ」という趣旨のことを迫力のある顔で訴えた。

 首相の答弁が終わると、大島氏は再質問を求めた。時間内の再質問はルールで認められ、大島氏には約2分間残っていたという。ところが、なぜか民主党側が認めず、自民党が反発して本会議は約20分近くストップした。2分の再質問を拒んで審議が20分止まる。まったく理屈が通らない。

 しびれを切らしたように伊吹氏が「みんな退席したらいい! 退席だ!」と叫び始めた。自民党の中堅・若手は、さもうるさそうにおしなべて黙っている。

 そうこうするうちに与野党の協議が折り合い、横路孝弘議長が「残り時間はわずかだが、再質問を認める」と述べ、大島氏は念願かない再質問に立った。首相も、大島氏の責任追及に興奮気味な様子で大きな身ぶり手ぶりで話している。だが、今度はヤジの声が大きすぎて、首相が何を話しているのか明確には聞き取りづらい。

 盛り上がったのはここまで。大島氏に続いて鴨下氏が質問に立った時点で、民主党側の空席は60以上。続いて公明党の石井啓一政調会長の質問になると、なぜか「友党」の自民党議員が20人近く一斉に席を立ち始めた。民主党側から「審議拒否か?」とのヤジが飛ぶほどの退席劇だった。

 さらに共産党の高橋千鶴子氏の質問に入ると、空席は与野党で130以上に。残った議員のうち、舟をこいでいる議員は30人を優に超えていた。読書や談笑している議員たちものぞき、まともに壇上をみつめて話を聞いているのは、全体の半数程度だった。

 一般の傍聴席に目を向けると、中学生らしき制服姿の少年少女たちがいた。節目の日に国会見学に来た彼らは、日本の選良の姿を見て、大いに学んだに違いない。この光景を反面教師に、日本の将来のために自分たちでがんばろうと。
(一部引用)

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 < 2012.05.12 IZA >
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/561453/

 
【野田政権考】船橋で辻立ちしてみたら?

 
実に違和感の残る光景だった。原稿を棒読みする野田佳彦首相に、仲間の拍手はまばら。一人の民主党議員は演壇の自民党幹部に向け、九官鳥のように「審議拒否するな」と何十回もやじを飛ばす。社会保障と税の一体改革関連法案が審議入りした5月8日の衆院本会議場の空気は弛緩し、首相の「不退転の決意」「政治生命を懸ける」という言葉がむなしい。(以下略)

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◆ 間もなく閉園、韓流整形塾「野田佳彦保育学園」


★ 閉園日:2012年6月30日(決定)

★ 閉園理由:モンスターチルドレンによる学園崩壊

★ 閉園を主導した超問題児童たち


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◆ 多湖輝著「がまんできる子はこう育てる」2011年新講社刊から


 がまんできない子はストレスに弱いので、面倒なこと・困ったこと・イヤなことがあるとすぐに投げだしたり、キレてしまいます。なんでもすぐに投げ出してしまうようでは、何ひとつ身につかないでしょうし、キレれば人間関係がぶち壊しになります。友だちやクラスメートと衝突ばかりしていれば、誰だって人生に嫌気がさしてしまうでしょう。

 人生にとって友だちはつねに大きな影響力を持っています。あなた白身を振り返ってみてください。

 友人がバレーボールをやっていたから自分も始めた、友だちが書道をやっていたから自分も始めた。あるいは友人と相談して合唱団に入った、塾に行っていたら友だちも通うようになったので、いつも二人で励まし合って通い続けることができた・・・・そういうことがしばしばあったのではないでしょうか。

 とくに、お互いに影響し合い励まし合って成長してゆく友人は、かけがえのないものです。刺激し合えるはずの友だちやクラスメートとケンカばかりして孤立してしまえば、よい友を得て、一緒に切磋琢磨し合うチャンスも失ってしまいます。

 いつの間にか周囲は、吹きだまりに枯れ葉が集まってくるように、こらえ性のない子、キレる子ばかりになってしまうかもしれません。

 高校や大学に行くのだって、がまんできる子はいろいろな誘惑と闘って目標を目指します。

 それに対してがまんできない子は、長時間集中して机に座ることができないため、成績もふるわず、希望する学校に入ることが難しくなります。

 よく「頭のいい子・悪い子」と言いますが、格別の秀才を除けば、頭の良し悪しなどはドングリの背比べと同じで、そう極端な差は表れません。それならなぜ希望する学校に入れる子と入れない子が出てきてしまうのでしょうか。

 一言で言えばこれは「集中力の差」ではないかと私は思っています。目標に向かって集中できる子が、関門を突破し栄冠を手に入れる人になるのです。

 社会人になっても、むろんがまんは必要です。たとえば車が欲しくなったとしましょう。こんなとき、がまんできる人は、今買えないのならがんばってオカネをためようという気になります。がまんできない人は、無計画な借金をしたりしてしまうかもしれません。

 会社勤めは勤務時間を守らなければなりません。がまんのできない人は、遅刻や無断欠勤を繰り返して、クビになることさえあるでしょう。

 いろいろ極端な例を書いてしまいましたが、人生はがまんすることを知っている人間にとっては、いつか希望がかないすばらしい日が来るでしょうが、がまんを知らない人には、その喜びは得られません。そしてがまんできるか否かは、幼い頃から親が「がまんできる子」に育ててくれたかどうかにかかっているのです。


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2012年5月13日 (日)

野田佳彦くんのアル中疑惑




◆ 5月11日(金)、首相動静


 < asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0511/TKY201205110682.html

 
18時55分、東京・赤坂のバー「Bar GIIYA」。民主党の鉢呂吉雄衆院議員、手塚補佐官らと会食。19時56分、民主党の城島国対委員長加わる。20時12分、鉢呂氏出る。21時01分、城島氏ら出る。11分、公邸。22時、ロシアのプーチン大統領と電話会談。


 < 2012.,05.12 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120512/plc12051200060000-n1.htm

 
早期の会談を調整 首相とプーチン氏が確認

 
野田佳彦首相は11日夜、ロシアのプーチン大統領と電話で約10分間会談した。政府関係者によると、プーチン氏は今月中旬の米国での主要国(G8)首脳会議を欠席するため、日ロ首脳会談が先送りとなったことを陳謝し、早期の会談調整を約束した。北方領土問題については協議しなかったという。

 日本政府は、6月中旬にメキシコで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会合の際の日ロ首脳会談を調整する方針。

 電話会談はロシア側が申し入れた。プーチン氏の大統領復帰後、野田首相との会談は初めて。



 < 2012.05.12 産経朝刊 >
 
 「泣きつき」戦術は裏目 消費税法案審議入り、委員会審議は21日以降

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◆ プーチン、野田佳彦くんに、激怒?  


 最初に、上記報道が、全て事実だったと仮定して、本件経緯を整理、深堀りしてみましょう。

 
< 露西亜側からの事前申し出、考え得るケース >

・その1
  
 依頼日不詳だが、少なくとも5月10日以前に、「日本時間5月11日22時」の時間指定で電話会談の申し出があり、日本政府側は、日程調整も何もせず、露西亜側の申し出をストレートに応諾した。

・その2

 露西亜側からの申し出にそって、双方、日程調整をした結果、11日22時に電話会談することで、事前合意した。

・その3

 日本時間当日朝、本日22時との突然の申し出であったが、野田佳彦くんは、プーチン直々のお願いに舞い上がってしまい、有難く応諾した。

・その4

 当日、突然の申し出であったが、何とかスケジュールを調整した結果、22時スタートで合意した。


 
< Bar GIIYAでの呑み会、考え得るケース >

・その1

 電話会談の有無に関係なく、事前に、決定していた。

・その2

 単なる時間潰しのため、直前に急遽、決定した。

・その3

 時間潰しのためではあったが、電話会談が怖くて、一人で22時まで過ごすのは不安で仕方がなかったため、アルコールの力を借りるべく、直前( or 前日以前)に企画した。  


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 本件、露西亜側の申し込みの経緯がどうであったにせよ、一つだけはっきりしていることは、野田佳彦くんが、22時の電話会談スタート前に、2時間、きっちり、お酒を呑んでいた、という事実です。

 これを、自動車運転に例えれば、野田佳彦くんの飲酒運転は歴然としており、手塚仁雄・鉢呂吉雄・城島光力、以上3名は、明らかな飲酒運転幇助罪が適用されます。

 電話会談が始まる前の59分間は、総理は、酔いを覚ます時間を取ったんだから、これくらいのことは許されるだろうと、実業経験の常識を一切有していないミンス脳では、取るに足らない事と考えているかも知れませんが、それは、はっきり言って、大甘です。

 欧米の白人世界では、一緒に飲みながらビジネストークをするのは許されても、オフィシャルなビジネスがスタートする前に、どちらか一方が、一杯引っかけてから、事に臨む、ということは、全うな世界では、許されていません。

 そんなことを敢えてする人は、アル中であるか、もしくはマフィアの世界の人、と見做されても文句は言えません。

 いいえ、日本とて、同じです。

 大事な会議で、一方が素面で、一方が一杯引っかけていることが分ったら、健全な実業の世界では、それ以降は、その相手をまともに取り扱わなくなるでしょう。

 その相手が同じ社内の人間であれば、まだ救われようもありますが、他社同士の関係であったなら、そのリカバリーに要する労力は、並大抵ではないのが、厳しい現実世界の実態であります。

 呑むに至った事情がどうであれ、現実のシビアな実業社会では、この54才児総理は、社会的にも「落第」、決定です。

 ましてや、いかなる言い訳も、通用しません。

 こういうことは、仕事以前の掟、なんです。

 こんな当り前の常識が備わっていない人に、どういう種類の仕事であれ、何かを成し遂げることなんて、出来る訳がありません。

 野田佳彦くん、電話会談前に、2時間も呑んでいたこと、バレないとでも思っていたんでしょうか。

 それとも、バーで2時間過ごしたことは事実だが、「私は、一滴もお酒を飲んではいない」と、いつもの半島人クォリティーで、韓流言い訳を、ご披露するんでしょうか。

 野田佳彦くん、プーチンを、甘くみてはいけませんぞ。

 KGBはなくなっても、その秘密組織のノウハウは、しっかり露西亜政府に引継がれています。

 野田佳彦くん、また、つけ入られるネタを、露西亜にやすやすと提供したということですかな。

 もっとも、彼、保守とは真っ赤な偽装工作で、アナーキストの一面も窺われますから、敢えて確信犯、というウワサもチラホラ。

 でもねぇ、野田佳彦くん、きみがいくら酒豪だと言っても、最近、浮き沈みが著しく激しくないかい。

 ここにきて、きみの目付き、尋常でないことがよくあるよ。

 ( 5月8日衆院本会議場 )

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 オジサンは、今まで必死に押えてきたアル中の気が、一気に出てきたのでは、と心配しているんだけれど、きみ、大丈夫かい。

 オジサンもお酒は大好きだから、きみの気持ちは分らないではないけど、深酒は、ロクなことはないよ。

 きみをターゲットに、故・中川昭一財務大臣の二番煎じを狙っている工作員も、うじゃうじゃ徘徊しているだろうから、お酒での行動は、慎重にね。

 なんだかんだいったって、きみは、日本の総理大臣なんだから。

 目が全てを物語る、これは、真実だよ。




◆ 全ては茶番ということも・・・・


 とは言っても、この電話会談、おそろしあさんと野田佳彦くんの仕組んだ事ですからねぇ。

 増すゴミさんも間に入って、関係者全員が、嘘をつきまくっている可能性も、考慮に入れとかなければなりません。

 土台、「電話会談はロシア側が申し入れた」「プーチン氏は今月中旬の米国での主要国(G8)首脳会議を欠席するため、日ロ首脳会談が先送りとなったことを陳謝」なんて殊勝な態度を、露西亜が、本心で、取るはずがありません。

 こう書かせた裏には、何があるんでしょうか。

 もっと、勘ぐると、プーチンと野田佳彦くんの電話会談なんて、最初から、なんにもなかった、ということだってあり得ます。

 だって、今更、電話会談をしなければならない緊急の課題なんて、両国に存在しないでしょう。もちろん、プーチンは、北方領土を返還する気なんて、さらさらないしw。

 それとも、野田佳彦くん、石原都知事に対抗するために、北方領土を、露西亜から買い取ることにしたのかな?

 野田佳彦くん、兎に角、歴史に名を残したくて仕方がないらしい。

 そのせいか、彼、最近、やたらに、スピーチの中に、「歴史」というワーディング、確信犯的に選択してますな。

 この間のワシントンでも、クリントンの目の前で、スピーチの最後を「
次世代の日米友好の歴史を切り開く歴史的な役割を共に担っていこうではありませんか」で、締めくくりました。

 実業の世界で暮らしを立てている健全な多くの日本人は、次世代のことよりも、目の前の現実を何とかすることで日々を過しているんですけど、現実を決して見ようとしないファンタジーの世界にしか生きていない野田佳彦くんには、その辺を、何らかの理由で、意識的に、スルーするんですな。

 血?

 いずれに致しましても、プーチンと野田佳彦くんが、代理人ではなくて、本人同士が、本当に報道通りに、電話会談をしたのが、事実だとしたら、野田佳彦くん、あらゆる分野において、かなりの問題児だと、オジサンは思うぞ。


 < ご参考(本年3月のお話です) >

・野田佳彦の「プーチン電話会談はなかった」疑惑
 http://wachauf.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ceb3.html




2012年5月12日 (土)

薫風香る野田佳彦くんの爽やか日誌





◆ 4月29日、旅立ちの日


 < 2012.04.29 nikkansports.com >
 http://www.nikkansports.com/general/news/photonews_nsInc_f-gn-tp3-20120429-942506.html

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 < 当日の野田総理が搭乗した政府専用機の離陸風景 >
 http://www.youtube.com/watch?v=rCXNshZgDMk&

">




◆ 4月30日(現地時間)、ワシントン


 < 2012.04.30 bearingdrift >
 http://bearingdrift.com/2012/04/30/obama-skewers-romney-people-meant-what-they-said-when-they-said-it/obama-noda-2/

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 < 2012.04.30 Political Capital >
 http://go.bloomberg.com/political-economy/2012-04-30/nada-from-noda-as-obama-handles-oval-office-crowd-control/

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 < 2012.05.01 Space News >
 http://www.spacenews.com/military/120501-us-japan-space-data-sharing.html

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 < 2012.04.30 International Business Times >
 http://www.ibtimes.com/articles/335193/20120430/obama-japan-noda-u-s-asia-pacific.htm

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◆ 5月7日、クールビズ・スタート


 < 行政改革に関する懇談会、官邸HP >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/07gyouseikaikaku.html

1021



◆ 5月8日、消費増税関連法案が審議入り


 < 衆院本会議、官邸HP >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/08syuhon.html

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 < 2012.05.08 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0508/TKY201205080225.html

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◆ 5月9日、運転免許更新(ゴールド)


 < 2012.05.09 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120509/plc12050914550006-n1.htm

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◆ 5月10日、衆院本会議


 < その1,官邸HP >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/10syuhon.html

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 < その2、2012.05.11 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120510/plc12051019260012-p1.htm

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◆ 5月10日、沖縄県知事による「かりゆしウェア」贈呈


 < 官邸HP >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/10kariyushi_zoutei.html

1015



◆ 5月10日、国家戦略会議


 < 官邸HP >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/10kokkasenryaku.html

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◆ 5月11日、産経新聞朝刊から


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◆ 5月11日、民主お得意の茶番劇 > 全員が狼少年少女


 
< 2012.05.11 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120511/plc12051115370013-n1.htm

 
与野党合意は「間違い」 議員外遊大幅増額で衆院議運委員長が釈明

 衆院議院運営委員会の小平忠正委員長(民主)は11日、平成25年度予算案の概算要求で衆院の議員海外派遣の旅費を今年度の約4.5倍の20億円とすることに「与野党が理事会で合意した」との8日の自らの説明について、「合意したと言っていない。言ったのであれば間違いで、訂正する」と釈明した。国会内で記者団に語った。

 小平氏は「20億円の話は8日の理事会で出たが、正式に提案されたのではない。私が合意と受け止めただけだった」と強弁した。税金を使ったお手盛り外遊の増額との批判が高まり、発言を修正したとみられるが、民主党は11日の理事会でも重ねて増額を求める方針を示した。




◆ 5月12~14日、特亜3国朝貢外交



 < 2011.12.26 Japanese.China.org >
 http://japanese.china.org.cn/business/txt/2011-12/26/content_24252120.htm

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◆ 佳彦くんが不在のときは、この曲を聞いて・・・・

 
 < No More Nodafi、No More Minshu >
 http://www.youtube.com/watch?v=gpIIqUt6L6U


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2012年5月11日 (金)

野田佳彦くんの華麗なる職場放棄




◆ その1


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 < 2012.05.09 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120509/plc12050919180009-n1.htm

 
首相訪中を発表 12日から3日間

 
政府は9日、野田佳彦首相が12~14日の日程で中国・北京を訪問すると正式発表した。13日に中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領との日中韓首脳会談に臨み、3カ国の自由貿易協定(FTA)締結交渉や、核実験を準備する北朝鮮への対応について協議する。


 
♫♫ 朴、外遊予算、増やしちゃったもんね ♫♫

 < 2012.05.09 産経朝刊 >

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◆ その2


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 < 2012.05.08 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120508/plc12050822570019-n1.htm

 
中国海軍艦艇5隻が太平洋を東に 海自が警戒強化

 
防衛省は8日、中国海軍艦艇5隻が沖縄南西海域を通過し、太平洋を東に進んでいると発表した。5隻は九州-台湾-フィリピンを結ぶ「第1列島線」付近で空母運用を想定した航行訓練を実施。米軍再編見直しにより、在沖縄米海兵隊の即応部隊移転と日米共同訓練実施を打ち出したグアムやテニアン島方面に向かっているとみられる。海上自衛隊では、日米への「示威行動」の一環とみて警戒を強めている。(一部引用)


 < 2012.05.09 産経朝刊 >

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◆ その3


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 < 2012.05.05 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120505/kor12050519470005-n1.htm

 
ソウルに「慰安婦」博物館が開館 慰安婦像に続き「反日」の象徴2つ目

 
【ソウル=加藤達也】日本統治時代の慰安婦に関する資料などを集めた「戦争と女性の人権博物館」がソウル市内に完成し5日、開館式が行われた。来賓の韓国の金錦来・女性家族相はあいさつで日本政府に慰安婦問題の解決を求めていくことを宣言。このほか朴元淳・ソウル市長や国会議員らも来賓として出席、在日韓国人の歌手が歌を披露したほか、日本からも市民団体などが参加した。

 元慰安婦をめぐっては昨年12月、支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」がソウル中心部の日本大使館前に慰安婦像を建立。日本政府が抗議するなど外交問題となっているが、「博物館」が完成したことで、半年の間に首都に2つの反日の象徴が建設される異例の事態となった。
(一部引用)

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◆ その4


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 < 2012.05.03 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120503/fnc12050310570003-n1.htm

 
相互の国債購入を協議 日中韓財務相会議

 
日本と中国、韓国の財務相・中央銀行総裁会議が3日、フィリピンの首都マニラで開かれた。アジア地域の金融安定化に向けた協力策を議論。外貨準備の一環として日本がウォン建ての韓国国債を購入する方針を表明するなど、国債の相互購入などを通じて日中韓の経済関係の強化を目指す。(一部引用)

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◆ その5


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 < 2012.05.10 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/region/news/120510/ibr12051002070002-n1.htm

 
竜巻被害 自民・谷垣総裁、つくば市視察 茨城

 
■「しっかり対応したい」

 
県防災・危機管理課がまとめた竜巻などの被害状況(9日午後5時時点)によると、つくば市北条地区で続いていた停電や断水は、全壊した家屋を除き3日ぶりに解消された。ただ、同地区の市民研修センターには避難者4人が残っている。同課によると、家屋被害(非住宅含む)は5市で1152棟。筑西市で被害認定が進み、179棟(うち住宅93棟)となった。

 この日、つくば市を視察した自民党の谷垣禎一総裁は「被害の全貌を明らかにして国としてもスピーディーな支援策を打ち出さないといけない」と指摘。「東日本大震災で避難した人が重ねて被災したとも聞いており、われわれとしてもしっかり対応したい」と述べた。その後、市原健一市長とともに死亡した鈴木佳介さん(14)の自宅前で献花して手を合わせ、被害が大きかった雇用促進住宅前などで住民に話を聞いていた。
(一部引用)

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 < 電柱をなぎ倒し、家を破壊した竜巻01(パノラマ写真) >
 http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0506tornado_01/

 < 竜巻が直撃した集合住宅02(パノラマ写真) >
 http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0506tornado_02/

 < 竜巻が直撃した住宅03(パノラマ写真)>
 http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0508tornado_03/

 < 竜巻が直撃した住宅04(パノラマ写真) >
 http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0508tornado_04/



◆ その6


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 < 2012.,05.10 産経朝刊 >

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◆ その7


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 < 2012.05.08 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120508/plc12050800280001-n1.htm

 
“平成版土光臨調”ようやくスタート、国会対策との指摘も

 
政府は7日、昭和56年に発足した第2次臨時行政調査会(土光臨調)の平成版と位置付ける「行政改革懇談会」の初会合を首相官邸で開いた。岡田克也副総理が今年2月に設置を打ち出してから3カ月を経て、ようやく決まった有識者メンバーも新味はなく、民主党内からも「消費税増税法案の国会審議で政府が身を切る姿勢をアピールするためだけの会議」(中堅)との批判が出ている。

 初会合で野田佳彦首相は「国民の声は『より一層身を切る改革を行え』ということ。大所高所から忌憚のない活発な議論をお願いしたい」と呼びかけた。懇談会は7月ごろまでに行革の基本方針を取りまとめ、約2年の設置期間中に具体案を検討する方針だ。

 “平成版土光臨調”は岡田氏が副総理就任以来、温めてきた構想。モデルとする土光臨調は質素な生活ぶりが話題を集めた土光敏夫経団連名誉会長(当時)をトップに国鉄や電電公社の民営化などの大改革を答申した。岡田氏は、与党が国会提出した行革実行法案に盛り込まれている首相の諮問機関「行政構造改革会議」を司令塔に行革を強力に進めていく考えだ。

 だが、岡田氏の意気込みは早くも空回り気味。岡田氏は当初、法的権限を持たせるため法案成立後の“臨調”設置にこだわったが、法案審議のめどが全く立たず、とりあえず岡田氏の私的懇談会との位置付けでスタートすることになった。

 メンバーの人選も難航。10人のうち8人は4月以前から政府の行政刷新会議の民間議員や同会議分科会の委員を務めているほか、稲盛和夫京セラ名誉会長も政権交代直後の刷新会議民間議員。純粋な新顔は古賀伸明連合会長だけとなる。

 民主党内には「行革を基本理念から議論する時期はもうとっくに過ぎており、いかに実行するかが重要だ」(中堅)との指摘も少なくない。




◆ その8


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 < 2012.05.10 産経朝刊 >

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◆ その9


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 < 2012.05.08 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120508/trd12050819410015-n1.htm

 
環境相「ようやく1割」 がれき処理12.3%

 
細野豪志環境相は8日の記者会見で、東日本大震災で発生した岩手、宮城、福島3県のがれきについて、7日時点で全体の12.3%の処理が進んだことを明らかにした。細野氏は「各地での処理が進んだことや、がれきの再生利用について関係者の努力があり、ようやく10%を超えた」と評価した。

 3県のがれきの総量は推計で約2250万トン。県別の処理率は岩手11.7%、宮城12.9%。東京電力福島第1原発周辺の自治体で作業が進んでいない福島では8.5%だった。



 

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2012年5月10日 (木)

野田佳彦くんのプロパガンダ大作戦




◆ 5月8日(火)、首相動静


 < 2012.05.08 asahi.com  >
 http://www.asahi.com/politics/update/0508/TKY201205080507.html

 
18時51分、東京・永田町の日本料理店「黒沢」。朝日新聞の星浩編集委員、毎日新聞の岩見隆夫客員編集委員、読売新聞の橋本五郎特別編集委員らと食事。21時44分、公邸。


HH:ワシントンのインターコンチでは、お世話になりまして。

YN:気に入ってくれたかい。

GH:ナイスでした。

YN:お役に立てて嬉しいよ。

TI:ベイジンよりグッドでした。

YN:君たちはお若いねぇ。

HH:来週の支持率は30%越えで。

GH:社主からST氏の籠絡工作終了とのことです。

YN:ナイスです。

TI:B層対策はお任せ下さい。

YN:宜しく頼むよ。

CIA:証拠はバッチリ。

公安:こちらも。

日本国民:基地は、全員、外へ。

CIA:Roger、目も据わってきたしな。

SP:う、う、うっれしいっすw。

日本国民:お赤飯を炊こう。


 < 2012.05.08 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120508/plc12050822040018-n1.htm

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 酒巻さん、ナイスショット > お腹、出てたんだ



◆ 野田佳彦くんの増すゴミ工作、全記録( asahi.com )


★ 5月1日(ワシントン、現地時間4月30日)

 ホテル「ウィラード・インターコンチネンタル」で同行記者団と懇談。


★ 4月17日

 19時31分、東京・赤坂の中国料理店「赤坂璃宮」。新聞・通信各社などの論説委員らと懇談。手塚首相補佐官同席。9時11分、公邸。


★ 3月28日(官邸)

 11時1分~12時2分、マスコミの子育て経験者と意見交換会。


★ 3月15(官邸)

 17時28~36分、共同通信社の吉田文和編集局長。


★ 1月23日(官邸)

 14時57分、民放各社の解説委員らと懇談。15時22~57分、内閣記者会加盟報道機関キャップらと懇談。


★ 1月13日

 19時39分、東京・永田町の日本料理店「黒沢」。政治ジャーナリストの後藤謙次氏ら報道各社の政治部長経験者と会食。21時36分、公邸。


★ 1月6日

 17時10分、東京・内幸町の帝国ホテル。時事通信社・内外情勢調査会など主催の新年互礼会であいさつ。44分、官邸。


★ 12月15日(北京)

 ホテル「長富宮飯店」で報道各社のインタビュー。同行記者団と懇談。同ホテル泊。


★ 12月16日

 18時48分、東京・大手町の大手町ファーストスクエアウエストタワーの料理店「トップ オブ ザ スクエア宴」で報道各社でつくる「七社会」の渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長、若宮啓文朝日新聞主筆らと会食。


★ 11月11日(官邸)

 20時46分、キッシンジャー元米国務長官。日枝久フジテレビ会長ら同席。21時6分、


★ 10月27日(官邸)

 15時31分、新聞・通信各社などの論説委員らと懇談。手塚補佐官同席。57分、民放各社の解説委員らと懇談。16時21~58分、内閣記者会加盟報道機関キャップらと懇談。


★ 10月21日

 17時41分~18時26分(官邸)米紙ワシントン・ポストのキャサリン・ウェイマス社主。18時48分、東京・虎ノ門のホテルオークラ。日本料理店「山里」で読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長らと会食。21時37分、公邸。


★ 10月20日(官邸)

 10時0~25分、時事通信社の安達功編集局長ら。


★ 10月13日(公邸)

 18時20分、内閣記者会加盟報道機関キャップらと懇談。19時27分、全員出る。



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2012年5月 9日 (水)

オバマくんに袖にされた野田佳彦くん「クリントン長官主催夕食会の巻」




◆ 野田佳彦くんの訪米スケジュール(出所:asahi.com)


★ 4月29日(現地時間)

 午後、政府専用機で米ワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地着。ワシントン市内の日本大使公邸で、米レスキュー隊員や宮城県石巻市で亡くなったテイラー・アンダーソンさんの家族など、東日本大震災の関係者らと懇談。日米関係の功労者らと「総理を囲む会」。ブレアハウス(迎賓館)泊。


★ 4月30日(現地時間)

 午前、ワシントン近郊のアーリントン国立墓地で献花。ホワイトハウスで日米首脳会談。

 午後、ホワイトハウスでオバマ米大統領主催の昼食会。共同記者会見。ブレアハウス(迎賓館)で米航空宇宙局(NASA)のボールデン長官や宇宙飛行士の若田光一さんらが表敬。ワシントン市内のナショナル・ジオグラフィック協会でクリントン米国務長官主催のレセプションと夕食会。ホテル「ウィラード・インターコンチネンタル」で同行記者団と懇談。ブレアハウス泊。


★ 5月1日(現地時間)

 午前、米ビジネス関係者らと朝食会。政府専用機でワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地発。



◆ 総理歓迎夕食会、ホスト役は、何故、オバマ大統領ではなかったのか?


 連休期間中の某日、旅先のホテルでTVを観ていたら、CNNが、オバマ大統領のアフガン電撃訪問を、シャカリキになって報じておりました。

 あれ、オバマくん、ワシントンで、野田佳彦くんのお相手をさせられていたのではなかったのかな、とオジサンは一瞬思ったのですが、CNNの映像を観る限り、オバマくんのアフガン訪問報道は、疑いのない事実のようでした。

 と言う事は、オバマくん、野田佳彦くんとのお見合いは、速攻で終らせたんだな、と考えつつ、後日、家に帰ってから調べてみると、やっぱり、オバマくん、野田佳彦くんとの共同記者会見を終えた直後に、アフガンに飛び立ってしまっていたんですね。野田佳彦くん歓迎夕食会のホスト役を、クリントン長官に押しつけて。

 ここで、よ〜く考えてみると、米側の日本に対する態度は、失礼極まりないことですが、相手がミンスの野田佳彦くんでは、さもありなん。

 だって、オバマくんが来日して、天皇陛下と初謁見のとき、当時の総理鳩ポッポさんは、オバマくんをほったらかして、勝手に一人でどっかに行ってしまった前科が、ミンスにはありますから。

 その意趣返しでもないんでしょうが、野田佳彦くんも、米側には充分研究しつくされておりますから、まともに相手にする必要はなし。昼食会でお茶を濁しておけば、それでOK、と、オバマくんも判断したんでしょう。まぁ、当然でしょうな。

 その昼食会も、下の記事から伝わってくるニュアンスは、時間的な視点からも、午餐ではなく軽食スタイルであしらわれてしまった気がしないでもありません。


 < THE BLOG OF RECORD ABOUT WHITE HOUSE FOOD INITIATIVES, FROM POLICY TO PIE >
 http://obamafoodorama.blogspot.jp/2012/04/president-obama-welcomes-japanese-prime.html

 
President Obama will welcome Prime Minister Yoshihiko Noda of Japan to the White House today for a bilateral summit, the first visit by a Japanese leader since 2009.  The day will include an 11:40 AM bilateral meeting in the Oval Office, followed by a closed-press luncheon in the Old Family Dining Room at 12:45 PM.(以下略)


 最たるジミンガーの野田佳彦くんには、酷ですが、以下の写真で比較してしまうと、オバマくんの気持ちも、オジサンには、分るなぁ。


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◆ 本当に、クリントンが主催した夕食会?


 で、ホスト(ホステス)役をクリントンに任せた30日の野田総理歓迎レセプション。

 日本の増すゴミさんも、官邸オフィシャルページも、全て、このイベントを「クリントン米国務長官主催」として扱っているのですが、オジサンは、米国政府がオフィシャルで発表しているこの催し物の動画で、クリントン長官がしゃべっている言葉を聞いて、あれ、これって、主催者は、クリントンではなく、National Geographic Societyが真の主催者なのでは、という疑念に捕らわれました。

 何故かと言うと、クリントンの冒頭のスピーチにこうあるからです。(出所は、下段クリントン長官スピーチをご参照下さい)


 
SECRETARY CLINTON: I want to thank the National Geographic Museum for hosting us this evening as we welcome Prime Minister Noda for his first official visit to Washington.

 
 まぁ、日米両政府も、面子を保つために、表向きはクリントン長官主催にしておいて、実際の主催者は、National Geographic Society(Museum)。キッシンジャーやアーミテージ、その他米財界の大物が集まったところから推察するに、このレセプションは、当初から民間主導で企画されていたものであって、米政府が、オバマがいないことを口実に、これ幸いと、合い乗りした、と解釈するのが妥当なところでしょうか。

 日本の外務省だって、翌日の朝食会のことは、詳細に記載しているクセに、この日の夕食会のことは文書では、何も触れておりません。内閣広報室が発表した写真を転載することで、お茶を濁している感じがします。


 外務省:野田総理の米国訪問
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_noda/usa_120429/index.html


 それにしても、クリントンも素っ気ない。

 自分のスピーチが終って、乾杯の音頭を取ると、野田佳彦くんの存在などまるで気にする風でもなく、即座に、さっさと一人で、勝手に、グラスを傾けていますもんね。


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 おまけに、2chでは、こんなスレ立てられているし。

 < ヒラリー・クリントンさんが、野田首相を「なんだこいつ?」みたいな感じで見つめている >
 http://logsoku.com/thread/engawa.2ch.net/poverty/1335862079/

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 4月30日、ワシントン市内で開かれた夕食会で野田佳彦首相(左)のスピーチを聞くクリントン米国務長官(AP)← 出所:2012.05.01 msn産経
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120501/plc12050117270024-p1.htm



◆ 野田佳彦くんは演説が大変お上手 > と増すゴミさまは内閣発足当初から大絶賛ですがw


 レセプション、クリントンのスピーチが終ると、いよいよ、我らが野田佳彦くんのお食事前のなが〜いスピーチが始ります。

 スピーチ全文は、以下に文字起こしをしておきましたので、ご興味がございましたなら、どうぞ、ご覧になって下さい。

 日本のえら〜い増すゴミさまのご判断によりますと、このお方のスピーチが、日本では、一流の演説なんだそうです。ふぅ〜ん(棒)

 オジサン的には、突っ込みどころ満載なんですが、これを遣り出すと卒論並みの論文が書ける気がしてしまいますので、本日のコメントは、一点のみに絞ります。

 それは、野田佳彦くんスピーチ冒頭部分です。

 野田佳彦くん、彼独特のユーモアで、スタートさせました。(このセンス、野田佳彦くんが仕組んだ先日のTBSのやらせ討論会と同じだぞ)


 
っ、先般、ワシントンポスト紙に、ここ数年でもっとも賢明、だが、カリスマ性がないと評された堅実な内閣総理大臣、野田佳彦であります。


 野田佳彦くん本人が、日本語でしゃべっている時は、動画を拝見しますと、クスクス程度の笑いしか起こっていないのですが、米国人の通訳者が、英語でこのクダリを通訳し終えると、会場は、大爆笑。クリントンもストレートに破顔です。

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 野田佳彦くんも、この原稿のシナリオライター下村健一も、苦労のし甲斐があったというものでしょう。よかった、よかった。

 では、この笑いをさそったその要因とは、何っだったのでしょうか。

 日本語脳では、① ここ数年でもっとも賢明 → ② でも、カリスマ性がない、という処に、笑いを引き起こす根拠があるのですが、英語脳では、②のカリスマ性がない(without Charisma)は、共通感覚であっても、①の賢明(sensible)には、日本語的訳語の「賢明」と捉えて、笑っているのではない、と、オジサンには思えて仕方がありません。

 ワシントンポストは、2012.04.19の記事で、野田佳彦くんをこう評しました。


 < 2012.04.19 wp opinions >
 http://www.washingtonpost.com/opinions/can-prime-minister-noda-set-japan-back-on-course/2012/04/19/gIQAGsJxST_story.html

 
Prime Minister Yoshihiko Noda, the sixth Japanese leader in as many years and by many accounts the most sensible, is trying to provide a novel answer.

(カリスマ表現は、この記事の、どこにあるのかな?)


 この場合の「sensible」、好意的に解釈すれば、確かに「賢明な」なんですが、意地悪く解釈すると、「 practical or usuful 」の意味にも取れます。

 そうです。

 「 sensible 」は、英語表現的には、イコール「使い勝手よしひこくん」で、転用解釈出来る「ワーディング」なのです。

 ミンスがどうしようもないことは、アメリカの政財界・識者の間には、知れ渡っています。普天間一つでアレでしたから。

 従って、どう考えても、彼らは、前政権自民党の歴代総理と比較して、ミンス野田佳彦くんが、もっとも賢明なリーダーだなんては、露ほど思ってはいません。

 この夕食会に集まった人々は、あわよくば、日本から金を毟りとろうと狙っている人が殆どと考えておいて良いでしょう。震災で日本頑張ったもんね、ご苦労さん、なんて殊勝な考えで来た人は、現実的にはいないでしょう。

 則ち、彼らは、「 seisible 」を、「オバカなミンスの野田佳彦くん、御しやすし」と判断し、思わず、笑ってしまった、と、オジサンは、考えます。

 そう考えた方が、クリントンの爆笑が、しっくりくるのです。

 でも、野田佳彦くんに、そんな思いは、全然、ないようです。

 彼、ストレートに、賢明なリーダーとカリスマ性がない、で、笑いが取れて、大満足のようです。

 野田佳彦くん、予想外に、単純なのかも知れません。

 総理になった程の人物ですから、どこか、深いところもあるんだろうと、オジサンは、ずっと探り続けてはいるんですけれど・・・・。



◆ クリントン長官主催夕食会(現地時間4月30日)


★ 英語&日本語版(Youtube)
  http://www.youtube.com/watch?v=Ba21IDI8AQQ

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★ 英語&日本語版(U.S. DEPARTMENT of STATE)
  http://video.state.gov/en/top-stories/video/1615982186001/secretary-clinton-hosts-a-dinner-for-the-prime-minister-of-japan-yoshihiko-noda/s~creationDate/p~2/

★ 野田総理日本語スピーチのみ(政府インターネットテレビ)
  http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg6142.html

★ クリントン長官スピーチ(英語Text)
  http://www.state.gov/secretary/rm/2012/04/188987.htm


 
< 野田総理歓迎夕食会スピーチ全文 > 


■■■■ Hillary Rodham Clinton, Secretary of State ■■■■


 ワシントンに初めての公式の訪問をなされる野田総理大臣を、ここで歓迎して頂いたNational Geographic Societyに感謝したいと思います。

 それから今晩、我々のために演奏してくれる伝説的な音楽家みどり(五嶋 みどり)さんも、歓迎したいと思います。

 それから、我々のゲストのシェフ、Voltaggioさん、お二人さま、どうもありがとうございました。

 今晩、我々は、ここで、日米の友情を祝うために、集まりました。

 で、この我々の絆というのは、繁栄、それから、安全保障、日米間関係だけではなく、世界中にそれをもたらすものであります。

 我々は、今日において、一番大きなチャレンジに向かって、一緒に、二国でもって、それに向かい合っております。

 日本は、未だに、世界の先端を作るリーダーであります。それもですね、考えられないような惨事が起きた後でも、そうであります。

 日本人の勇気と力強さについて、アメリカ人は、本当にインスピレーションを感じています。

 我々の二国間の間の関係も大切ですけど、それ以上に大切な我々二つの国民、人民の関係であります。

 我々の国が共有しているこの絆に、力強いのは、今日は、再評価するために、皆さんは貢献して頂きました。 

 しかしながら、我々の関係というのは、過去の出来事と現在だけではなく、将来にも向かって、その関係を作り上げて行きたいと思っております。

 ですから、我々両国の若者たちに、新しいチャンスを与えるために、取り組んでおります。

 我々が、二国が共有している目的というのは、これから将来のリーダーたちになる若者たちに、二国間においてのトモダチ、友情関係を作って貰うことであります。

 ですから、我々は、官民協力して、トモダチというプロジェクトを作り、両国の若者たちが交流できるように活かしています。

 これから何百人もの日本の学生たちをアメリカに招待し、そして、何百人ものアメリカの学生たちを、日本に行って頂くことを、愉しみにしております。

 それは、学生の交流、それからスポーツプログラム、それからビジネスの交流も含めてです。
 
 そして、この二国間の友情をこれほど象徴しているものはありません。それは、日本からの三千本の桜の樹で、百年間、春を迎えております、ワシントンで。

 日本の国民から、アメリカは、百年前に、三千本の桜の樹を、友情のシンボルとして、贈り物として貰いました。

 今晩、私は、米国民から日本に対して、プレゼントとして、三千本のハナミズキを贈呈することを、ここで、発表いたします。

 この三千本のハナミズキの贈与を象徴しているのは、この我々の後ろにある盾であります。これによって、これからも、日米の友情をシンボルとして、日本の皆さんが、このハナミズキを愉しんで貰いたいと思っております。

 それでは、総理大臣。ここで、私は、乾杯の祝をしたと思います。それは、我々二国間のいつまでも続く友情関係、パートナーシップ、それから、我々の国々が、これからの百年先、それ以上に向かって、我々の共有しているビジョンを、平和かつ反映ある世界に向けて行きたいと思います。



■■■■ Yoshihiko Noda, Japanese PM  ■■■■


 えっ、先般、ワシントンポスト紙に、ここ数年でもっとも賢明、だが、カリスマ性がないと評された堅実な内閣総理大臣、野田佳彦であります。

 えっ、確かに、ブルースを人前で歌う、風流な特技もありません。

 先ずは、素晴らしいレセプション、夕食会を主宰をされたクリントン長官に、そして、お集まりの皆さまに、心から、感謝を申し上げます。

 えぇ、私は、かつて高校時代、地元の模擬試験で一番の成績を取ったことがあるほど、英語に自信があったんです。

 でも、二十歳のとき、大学生のときに、クイズのテレビ番組で優勝して、ご褒美でアメリカに行きました。

 ロスアンゼルスのレストランに入ったら、ウェイトレスの方の言っていることが、分らないんです。

 ドレスがどうのと言っているんですが、ドレッシングだったらしいんです。

 と言うことで、レストランで立ち往生したくらいですので、今日は英語ではなく、得意の日本語でスピーチをしたいと思います。

 えっ、過去にはもっと地味な総理大臣もいたはずでありますけれども、折角の機会なので、日米関係に寄せる思いを、私自身の、おぉ、話から、始めさせて頂きたいと思います。

 私は、自衛官の悴として生れ育ちました。えぇ、幼な心にも、多感な青春時代も、有事に備えて厳しい訓練に明け暮れる父親や隊員たちの背中を眺めつつ、国の安全保障を担う責任と日米安保が持つ重みを常に肌で感じ取って参りました。

 えぇ、日米同盟は、我が国の外交と安全保障の機軸である。これは、こうした幼少期から、長年、培われてきた私の肌感覚で得たものであります。

 そして、昨年の東日本大震災は、私が、長年抱いていた日米関係についての思いを、更に、強くする決定的な契機となりました。米軍のトモダチ作戦で、被災者のために懸命に汗を流す海兵隊員の姿、自国政府の危機に対するかのように協力を惜しまなかった米政府関係者の姿、全米各地から集まった草の根の支援、そうしたものを拝見し、私の日米同盟に対する直観は、揺るぎのない信念となりました。

 被災地を救援するという一つの目的のために、日本人もアメリカ人も、共に必死に汗を流しました。この共通体験を明日への糧にして、我が国としても、米国と共に、日米安保の重みを担って行く決意を新たにしたところであります。

 えぇ、これだけ強固な同盟関係も、一夜にして築きあげられたものではありません。尾崎咢堂がポトマック河畔に桜を寄贈して一世紀。この間、悲惨な戦争を戦った期間を挟んで、日米両国がお互いに向ける死線は、山もあり谷もあり、決して一様ではありませんでした。

(ここで英語版は映像が途切れているため、文字起こしは、政府インターネットテレビ日本語限定版から行います)

 しかし、戦後長らくの歳月を経て、日米関係は、成熟化の段階に達しました。今や大半の日本国民は、日米同盟を受容し、トモダチ作戦に対し示された高い信頼感と感謝の念は、成熟した日米関係を象徴をしております。

 えぇ、歴史の重心が、アジア太平洋地域に移り行き、世界の情勢も激しく動きつつある二十一世紀に、日米は直面する課題の多くを共通し、基本的な価値観を共有をしています。

 地域と世界の安定と繁栄のために、かけがいのないパートナーとして、分担して役割と責任を果たし、共に秩序作りやルール作りを進めて行くべきだと思います。

 えぇ、食事の前の長い挨拶は嫌われますので、そろそろ、締めに入りますのでご安心下さい。

 桜を愛でる春を、日米が太平洋を挟んで共有するようになってから、百年の樹齢です。東日本大震災を通じて、日米の確かな絆を再確認をした今こそ、この絆をより一層、強固なものにするため、これから百年先に、花を咲かせる日米の友好の種を蒔く、絶好のチャンスだと思います。

 えぇ、ここにお集まりの皆さまは、そうした取組みの先頭に立つべき方々であります。次世代の日米友好の歴史を切り開く歴史的な役割を共に担っていこうではありませんか。えっ、そうした呼びかけをして、私の挨拶としたいと思います。

 Thank you very much.




2012年5月 8日 (火)

野田佳彦くんの韓流「大型連休のくつろぎ方」




◆ 4月28日(土)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0428/TKY201204280402.html

 
【午前】10時25分、東京・神南の代々木公園。27分、第83回メーデー中央大会会場内の東日本大震災被災者支援スペースで農産物などを購入。11時16分、同大会であいさつ。55分、公邸。

 【午後】1時53分、民主党の仙谷政調会長代行。3時、山口外務副大臣、斎藤官房副長官、長島首相補佐官、別所外務審議官、岡田経産審議官、外務省の伊原北米局長、八木経済局長。47分、別所、岡田、伊原、八木各氏出る。4時1分、山口、斎藤両氏出る。6分、長島氏出る。



 < 2012.04.29 産経朝刊から >

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 父ちゃんたち、お品が、ないぞw




◆ 4月29日(日)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0429/TKY201204290243.html

 
【午前】公邸で過ごす。

 【午後】2時50分、羽田空港。53分、報道各社のインタビュー。3時20分、日米首脳会談のため、政府専用機で米国に向け同空港発。



 < 2012.05.01 産経朝刊から >

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 仁実夫人、引き籠り、続行中




◆ 4月30日(月)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0430/TKY201204300306.html

 
(現地時間29日)午後、政府専用機で米ワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地着。ワシントン市内の日本大使公邸で、米レスキュー隊員や宮城県石巻市で亡くなったテイラー・アンダーソンさんの家族など、東日本大震災の関係者らと懇談。日米関係の功労者らと「総理を囲む会」。ブレアハウス(迎賓館)泊。

 (現地時間30日)午前、ワシントン近郊のアーリントン国立墓地で献花。ホワイトハウスで日米首脳会談。


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 < アーリントン墓地・無名戦士の墓で献花する野田総理 >
 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201205/01usa.html


 日本はとっても悪い国ですから、靖国神社だけは、絶対に、お参りしません(キリッ by 韓流ダブスタ日本国総理大臣野田佳彦

 アーリントン墓地に眠る米国軍人の皆さま、原爆で21万人、東京大空襲だけで10万人、無辜の善良なる日本の一般国民を瞬間芸で大量虐殺して頂き、感謝に堪えません by 第95代日本国総理大臣野田佳彦




◆ 5月1日(火)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0501/TKY201205010528.html

 
(現地時間30日)午後、ホワイトハウスでオバマ米大統領主催の昼食会。共同記者会見。ブレアハウス(迎賓館)で米航空宇宙局(NASA)のボールデン長官や宇宙飛行士の若田光一さんらが表敬。ワシントン市内のナショナル・ジオグラフィック協会でクリントン米国務長官主催のレセプションと夕食会。ホテル「ウィラード・インターコンチネンタル」で同行記者団と懇談。ブレアハウス泊。

 (現地時間1日)午前、米ビジネス関係者らと朝食会。政府専用機でワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地発。



 < 2012.05.03 産経朝刊から >

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 実は、速攻で、オバマくんに逃げられてしまっていた野田佳彦くん・・・・




◆ 5月2日(水)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0502/TKY201205020391.html

 
【午後】0時35分、日米首脳会談を終え、米国から政府専用機で羽田空港着。1時10分、皇居。帰国の記帳。27分、官邸。40分、藤村官房長官。2時1分、藤村氏出る。3時59分、岡田副総理。4時24分、北村内閣情報官。30分、米村内閣危機管理監、椋木内閣衛星情報センター所長加わる。51分、別所外務審議官、杉山外務省アジア大洋州局長。5時30分、手塚首相補佐官。53分、高須幸雄国連事務次長。6時13分、公邸。


 < 2012.05.02 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120502/plc12050213010007-p1.htm

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 おやせになりました?


 < 2012.05.02 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050222130018-n1.htm

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官邸に入った野田佳彦首相=2日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)


 
野田首相、訪米を自賛 GW後半は完全休養

 野田佳彦首相は訪米から帰国直後の2日、自身のブログを更新し、2006年以来となる日米間の共同声明を成果に挙げ「日米同盟が新たな高みに達したことを示す。確かな手ごたえを感じている」と自画自賛した。3~6日のゴールデンウイーク後半は「静かに想を練る」と完全休養を宣言した。

 ブログではクリントン国務長官主催の夕食会で、米大リーグで好投を続けるダルビッシュ投手が話題になったエピソードも紹介。「日米の結び付きは、官民相互のさまざまなレベルの交流で支えられている」と強調した。




◆ 5月3日(木)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0503/TKY201205030373.html

 
終日、公邸で過ごす。


 < 2012.05.04 産経朝刊から >

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◆ 5月4日(金)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0504/TKY201205040249.html

 
【午前】11時54分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急。日本料理店「水簾(すいれん)」で、古賀伸明連合会長、増田寛也元総務相と会食。

 【午後】1時4分、公邸。



★ 本当は、相思相愛、古賀伸明&野田佳彦


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 < 2012.05.05 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120505/stt12050518010002-n1.htm

 
今さら「民主党政権には失望した」ですか?連合会長(名言か迷言か)

 
「2009年夏の歴史的な政権交代から2年半あまり。新しい政治の幕開けに期待を寄せた熱い思いは残念ながら冷め、率直に言って、失望や落胆に変わったと言っても過言ではありません」

 連合の古賀伸明会長は28日、東京・代々木公園で開かれたメーデー中央大会であいさつし、民主党政権について、こう苦言を呈した。

 野田内閣は、産経新聞とFNNが4月28、29日に実施した合同世論調査で発足以来、最低の22%を記録。民主党の支持率も15%ほどで、自民党に約5ポイントのリードを許した。古賀氏は大組織に充満する組合員の不満を代弁したのだろう。

 だが、現実の民主党政権は初代首相の鳩山由紀夫氏、2代目の菅直人氏と普天間基地移設問題での迷走に始まり、中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土訪問、東日本大震災の復旧復興の遅れなど歴史的と言っていいほどの失政続きだった。「失望した」発言に「何を今さら…」と感じた組合員や国民の方が実は多かったのではないか。

 一方で古賀氏は「国民は東日本大震災をはじめ、国難を目の当たりにしながらも党利や抗争に明け暮れる政治の現状にうんざりしています」とも述べた。抗争の一方の当事者、民主党の小沢一郎元代表をけん制した発言とも受け取れる。

 民主党では「小沢氏よりも野田佳彦首相をはじめとする現執行部寄り」(民主党議員秘書)と見られる古賀氏。「膨大な国家財政の負債を積み上げ、猶予期間もない」と消費増税に理解を示す発言は、野田氏への激励の意味もありそうだ。
(以下略)



◆ 5月5日(土)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0505/TKY201205050277.html

 
終日、公邸で過ごす。


 < 2012.05.05 産経朝刊から >

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 日本の産業と経済を潰滅させることが、ウリたちに課せられた、使命ですから




◆ 5月6日(日)


 < 首相動静 asahi.com >
 http://www.asahi.com/politics/update/0507/TKY201205070350.html

 
終日、公邸で過ごす。


 < 2012.05.06 msn産経 >
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120506/stt12050618000003-n1.htm

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(米国訪問を終え、帰国した野田首相=2日午後、羽田空港)



 “卒業旅行”を満喫? 連休中の閣僚外遊

 本当に必要な外遊か、それとも政権末期の思い出づくりの“卒業旅行”なのか-。大型連休を利用した野田内閣の閣僚たちの外遊。連休中に北朝鮮が3回目の核実験に踏み切るとの見方を念頭に、野党は連休前、外遊を控えるよう警告していた。それを振り切って外遊を敢行した閣僚たちは、幸いにも不測の事態は起こらず、思う存分羽をのばしたようだ。

 連休中に野田佳彦首相のほか、11閣僚が外国出張。一方で、北朝鮮は最近、韓国に対し「聖戦」としての「特別行動を開始する」などと威嚇的な態度を取っており、近く核実験が行われる可能性が指摘されている。このため、政府は連休前の先月27日の閣僚懇談会で、核実験が行われた場合、直ちに安全保障会議を開催し、情報収集や分析の段取りも確認した。

 だが、不測の事態が発生した場合、安全保障会議を開いても「メンバーの10閣僚のうち8人が海外に行く。北朝鮮が核実験したら迅速に対応できるのか」(自民党の小野寺五典外交部会長)との反発が噴出した。先月26日の衆院議院運営委員会理事会でも自民党は、「安全保障の観点からいかがなものか」と一部閣僚の出張に反発し、政府は松原仁国家公安委員長のベトナム訪問と、前田武志国土交通相のドイツ訪問を取りやめた経緯がある。

 連休中に強行した閣僚外遊が初動対応の遅れを招いた教訓がある。鳩山由紀夫首相時代だ。

 平成22年4月、宮崎県の農場の飼養牛に口蹄疫の感染が確認された。感染拡大を防ぐため、東国原英夫宮崎県知事(当時)らは政府に対し早急な対策を求めたが、赤松広隆農水相(当時)は5月1日から5日までメキシコなど中南米への外遊を優先し、口蹄疫問題への対応を役所任せにした。だが、閣僚不在の間、事態は悪化の一途をたどった。

 「反省するところは全くない」。赤松氏は帰国後、自身の責任を認めず、こう強弁していたが、「外遊する暇があるなら宮崎に入るべきだ」との批判は収らなかった。結局、口蹄疫問題への対応の遅さを追及された衆院農林水産委員会で、赤松氏は「結果としてこれだけ広がったことに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と謝罪に追い込まれた。

 それから2年。今年の大型連休の外遊ラッシュをみれば、過去の苦い教訓から何も学習していないことがうかがえる。

 確かに、必要な外遊もある。大型連休中にしか日程が確保できないケースもあるだろう。野党幹部は個人的な見解とした上で、「野党側からすれば、閣僚が不在ならば質疑しないということになり、閣僚は半年ぐらい国会に拘束される。しかし、他国の閣僚はどんどん海外にでる。その意味では日本の政治が内向きになっている。必要な時には海外に行くべきだ」と指摘する。

 こうも続ける。

 「本当は国会開会中でも副大臣が対応できるようにし、大臣が外にでられるようにするのが大事だ。他国は大臣がきているのに、こっちは副大臣では対等な会談ができないし、積極的な外交を展開するのは決して悪いことではない」

 その上で「ただ、調子に乗って『みんなが行くから俺も行く』『海外に行くことを決めてから、用件をつくる』という不純な動機は良くない。誰とは申しませんが…」とクギを刺す。

 連休明けから与野党攻防が激化する「消費税国会」。外遊の成果があったなら堂々と国会で説明してもらいたい。単なる“卒業旅行”なら猛省を求めたい、といっても、もう手遅れか…。

 

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2012年5月 7日 (月)

全てを徹底的に疑ってみよう




◆ 実践的だった上司の教え


 オジサンが、社会人一年生だった頃の、遙か、ウン十年前のときの話です。

 入社式・本部研修を終えて、配属先の支店勤務初日に、支店長から、マンツウマンでの訓話がありました。


① 若い時は、同僚・上司・先輩と、大いにお酒を呑んで、大いに語らい、大いに議論をしなさい。

② 若い時は、お金は、貯めるな。お金は、地位が上がるにつれて、自然に貯まる。


 で、初日の勤務終了後、いろんな部署のおじさんたちに取り囲まれ、強制的に小料理屋さんへ連れて行かされました。

 それからの二週間、夜の部は、入れ替わり立ち替わりで、毎晩、ビールの注ぎ方、受け方、日本酒のつぎ方、受け方の集中レッスンを受けました。

 新入社員で可愛がられた所為もあって、お蔭さまで、初任店在任中の2年半は、先輩・上司と相対で飲んだときは、一度も、お金を払った記憶がありません。

 それから入社10ヶ月めで、初めて、担当先を持たされました。

 で、またまた、支店長から、マンツウマンの訓話がありました。


① 担当先のお取引先が、ある日突然、倒産したら、その時点で、我が社は、どのくらいの損害を被るか、常に、この事を念頭において、日常を処理していきなさい。

② お取引先は「常に嘘を言っている」ことを前提に、全てを、徹底的に、疑ってかかりなさい。

③ 健全な世間常識の観点から、お取引先の邪悪さを、直感的に感じたら、直ちに報告しなさい。

④ 仕事がイヤになったり、自信を喪失したときは、徹底的に、遊んで見なさい。お酒ならいつでも付き合ってあげるよ。


 今から思えば、当時は、先輩、上司に助けられ、えっちらおっちらの新人時代でしたが、その後のオジサンの社会人生活において、この支店長の「全てを徹底的に疑ってみなさい」は、至極、リアルな教訓であり続けました。

 何事も、全否定してから、スタート台に立つ。

 海外支店勤務のとき、この教えは、非常に、役立ちました。

 特に、華僑相手、韓国人相手のビジネス案件では、絶大なヒントを与えてくれました。

 誤解を招かないように、ここで一言お断わりしておきますが、オジサンは、華僑や韓国人の「民族性云々」を突出させたい訳ではありません。

 それはそれで、経験上、言いたい事は、山ほどありますが、ここでは、彼らの人間性と商売は、全く別物であることを、注意喚起しているだけです。

 それだけ、彼らは、ビジネスには、貪慾であり、彼らを取り巻く環境も、オール弱肉強食の世界オンリーなだけに、彼らにしてみれば、信じられるのは、自分自身とおカネしかないのです。

 ですから、おカネを手に入れるためには、何でもやる。

 それは、良心も、責任も、信頼も、信用も、介在する余地など、全くない世界です。

 そうやって、彼らは、本国でも、移住先でも、自分を取り巻く過酷すぎる現実社会を、生き延びてきたのです。

 翻って、他人を容易に信じてしまう下地がある国は、日本以外には存在しない、と、オジサンは、断定します。

 少々、強引な結論ではありますが、その延長が、民主党政権の誕生ではないでしょうか。

 政治屋さえも、増すゴミさえも、殆ど、疑わなかった国民性の結果が、コレ。

 いや、そもそも、人を疑うことさえも、しようとしない。

 更に言うなら、疑いを抱くこと自体が、悪。

 それだけ、日本が、精神性も豊かだった、という証なんでしょうけど。

 と、おぼろげながら考えていたら、こういう本を見つけました。

 読後の結論は、日本は、昔も、今も、ネットが出現しても、情報に関する感度は、ちっとも、変わっていない。

 ただ、物質的に豊かになった分、感度は、一段と衰えた。

 長文ですので、お暇なときにでも、宜しければ、ご一読を。

 ちなみに、著者の堀栄三さんは、今をときめく前田国交相の母方の叔父さんです。


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< 堀栄三著「大本営参謀の情報戦記(情報なき国家の悲劇)」1989年文藝春秋 >


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◆ 情報入手、2種類の正反対の取り組み方


 堀はすでに父の言葉を引いて、「情報とは相手の仕草を見て、その中から相手が何を考えているかを知ろうとするものだ」と書いたが、相手の心や手の内をそのまま相手から聞けたら、これに越したことはない。

 相手の心を聞くには相手に近寄る以外にない。その最も合理的な方法は、大公使や武官が外交特権をもって、堂々と相手の国の権力の中枢やその周辺に接触して直接聞くことである。その反対の非合法の方法はスパイ、盗聴器などを相手の国家権力の中枢や周辺に配置することである。前者の好例が当時の駐独大使館付武官大島浩中将(後の大使)や小松均武官たちの働きで、後者の例は、日本の政治の中枢者から情報をとってソ連に流していたゾルゲである。

 西郷大佐の第十六課の情報への取り組み方は、何といっても大島浩という近来稀な大物武官(のち大使)を持っていて、ドイツの権力の中枢であるヒットラー、ヘス、リッベントロップといった重要人物と、あまりにも容易に会って意見を聞き得る立場にあり、彼ら中枢の意図することが聞き出せたのと、日独伊三国同盟の同盟国が日本に嘘をつくことはないという認識の甘さと、日本軍の中枢を占める高級軍人たちのほとんどが盲信的な親独感情を特っていたことなどが基礎になっていたことは否定できない。従って大島大使から、「リッベントロップが本職に斯く斯く説明せり」と打電してくると、その内容は疑う余地のない絶対性をもつものになっていた。換言すれば第十六課は大島大使を長とする在独武官室の東京出張所といっても過言ではなかった。

 これに対して林大佐の第五課は、ドイツ課の取り組み方とはまったく違っていた。在ソの駐在武官や大使が、容易にクレムリンに出入りして、スターリンやモロトフや軍の首脳と和気靄々と話をすることは、ドイツと違って至難中の至難であったから、止むを得ず権力の中枢の考えている意中が、ソ連国内のどこかに、何かの形で徴候として出ていないかを、虎視たんたん克明に探して分析していくことになる。

 そのため、国内や隣接国家を旅行したり、シベリヤ鉄道の輸送に何か変ったことはないか、観兵式に出る新しい兵器はどうか、新聞雑誌でソ連の要人が何を喋ったか、以前に喋った内容と、今度の内容に喰い違いはないかなど、各種の徴候を丹念に積み上げ、さらに公開文書の翻訳、放送の傍受、暗号の解読、ソ連周辺の駐在武官の報告(この中にスウェーデン駐在の小野寺信武官がポーランドのスパイを使って、ソ連とドイツの内情を報告してくる『ブ情報(秘匿名)』も含まれていた)を組織的、体系的に分析検討して、その砂礫のような情報の中から一粒のダイヤを見つけるに似た克明細心な取り組み方をする。

 この二つの取り組み方で根本的に違っているのは、ドイツ課は徹底した親独から相手を百パーセント信用しているのに対して、ソ連課は嫌ソが基本で相手をすべて疑ってかかっていたことである。信用している方は、大島大使からの情報を絶対視して審査も何もなく、常に一方的な一本の線で見ているが、ソ連課は常に疑っているので、一本の線で一方的に見ないで、他の何かの情報と関連があるかどうかを見つけようとする。従って二線、三線の交叉点を求めようと努力していた。

 よく戦後の戦史研究家で、あのときこんな情報があったのに、どうしてこれを採用しなかったか、と批評する人がいる。しかし情報は二線、三線での交叉点を求める式の取り組みをやらないと、真偽の判断は難しい。



◆ 「兎の耳」こそ最高の ″ 戦力 ″


 戦後四十数年、情報の世界もすっかり様変りしてしまった。将来もこの情報の世界で、堀がやってきたような職人的な個人プレーでやっていけるかどうか、十分な反省と研究をしなければならなくなってきた。

 ここでもまた、前章で記述した米軍の調査書の要約の中の一節を引用してみよう。

「このたびの戦争の全般を通じていえることは、情報要員訓練計画の皆無が、日本の情報活動を阻害していたことである。日本では、陸軍大学校や航空将校養成学校にも、情報学級もなければ特殊な情報課程もなく、わずかに情報訓練が行われたこともあったが、それも戦術や戦史、通信課程の付随的なものに過ぎなかった。従って情報任務を与えられた将校たちは、戦塵の間に自分で新任務を会得する以外になかった」

 堀が体験してきた限り、過去の陸軍情報部では、仕事はくれるが、教えてはくれなかった。まさに米軍調査書の指摘通り、職人のように自分で覚えていく以外に方法がなかった。

 堀が青春をこの一事にかけて燃焼した当時を想って、この調査書の一節ほど身に沁みるものはない。同時に、「こんな態勢で、よくも米国と戦争をしたものだ。情報なき国家の悲劇だ」と、米軍から嘲笑われているように思えてならない。

 日本は敗戦の教訓から、情報には手をつけないで、ようやく一つだけ自衛隊に陸海の航空を統合して空軍を創った。これで世界列強並みの新軍体制が出来たと思っている間に、時代は追いつきようもないほど変っていってしまった。

 もし第三次世界大戦が勃発したら、米ソはその第一撃をどの目標に向けるであろうか? もはや、日本が実施した真珠湾攻撃のような第一撃とは、誰も考えないであろう。

 昭和三十二年十月のスプートニックの打上げ以来三十二年、米ソの情報部はとうに宇宙へ引っ越してしまったのである。  
           
 先日もソ連の人工衛星が撮影した関東地方の写真が、日本の新聞に載っていた。鮮明この上なく、あれでは日本全土が丸見えで、日本のあらゆる施設がソ連のミサイルの照準下にある。米国の方は、情報によるともっと進んでいるらしいから、米ソの情報の目は、いまや宇宙から絶えず自国に対する敵の奇襲と、世界各国の動きを監視哨戒している。

 それゆえに、開戦の第一撃は地上のミサイル基地よりも、宇宙を軌道飛行している衛星情報部や、哨戒衛星に向って発射される可能性が強くなった。米国が太平洋戦争開戦劈頭、日系一、二世を強制収容して日本の情報の目を潰したあの手法である。

 この辺で情報という言葉について、一言述べておかねばならない。最近では一般に諜報(インテリジェンス)という表現が多くなった。秘密戦的手段、合法的手段のいずれを問わず、収集したものはすべて諜報で、これを集めて種々の角度から分析検討して、使用者である政府、軍、その他の機関や企業などに利用出来るものにして、交付する段階からを情報(インフオメーション)と呼んでいるのが通常のようになってきた。むかしここでは、学問的な解釈をどうこう問題にしようとは思っていない。

 学者や研究家がとやかく言っている間に、現在の秘密諜報戦は、地上、空中はもちろん、海中から宇宙にまで拡がっていってしまった。

 秘密諜報戦で挙げた成果は、各国とも絶対に発表をしないから不明であるが、最近の諜報戦で顕著な成果を挙げたのは米国のキューバ事件の勝利である。キューバ事件での功績は、まず米国のU12機の高々度二万メートルから撮影した、サンクリストパル付近の野原のたった一枚の写真であった。この写真が発端で米国CIAはキューバにミサイル基地が建設されつつあると分析した。その撮影の切っかけを作ったのは、CIAが使っていた二人のキューバ人スパイの報告であった。

 この情報を掴んだケネディーは、断乎としてソ連に対決姿勢で臨むことが出来た。しかし皮肉なことにこの写真機が、シャッター速度四千分の一秒という日本のニコンFM2写真機であった。日本は他国に武器を輸出しないと言っているが、米国は日本が武器と考えない写真機で、他国を偵察して写真を撮っていた。カメラのぶれが少いことが、高々度からの写真効果の最大の理由であったが、いまでは八千分の一秒というさらに精巧なものが市販されている。

 恐らく写真機の分野だけでなく、人工衛星の分野でも、日本は米国の宇宙情報部の協力者であることは間違いないし、場合によったらソ連の協力者にもなっているかも知れない。このように諜報先進国では、日本の企業の技術を優秀な諜報兵器として扱っているのである。

 宇宙へ上った有人宇宙船は、多数の人工衛星から地上へ発信される偵察写真の電子信号を傍受したり、妨害したり、敵の人工衛星を要撃、捕捉、点検する指令能力と防諜能力を備えていると見られている。この最先端の情報部の乗り込んだ有人宇宙船は、各種の諜報を科学的に集めて、集めた諜報を地上の情報中枢に絶えず送り続けている。現在の諜報戦は、かくも高度に、広範囲に、そして高価格な諜報戦に変っていってしまっている。

 こんな諜報戦の時代に、現在の日本自衛隊の軍事諜報組織は、実に貧弱な統合幕僚会議の第二室と、その下に陸海空三自衛隊の情報部または調査部があるだけで、仕事の内容も陸海空がそれぞれ自分本位の立場からの狭い視野で情報を捉える旧軍時代と一向に変っていない。極端にいえば、今もって鋏と糊で文書や新聞の切り抜き作業から、そう遠くには出ていないであろう。むろんコンピューターの導入によって少しは近代化されてきただろうが、諜報収集の分野では7列国のそれと比較してお粗末といわざるを得ないであろう。

 日本の防衛方針が専守防衛ということであるなら、情報を措いて最重要なものはないはずである。

 昔ドイツで読んだある本の中に、

 「兎の戦力は、あの速い脚であるのか、あの大きな耳であるのか?」

 という設問があった。

 答えは、いかに兎が速い脚を持っていても、あの長い耳ですばやく正確に敵を察知しなかったら、走る前にやられてしまう。だから兎の耳は、兎にとって自分を守るための最重要な戦力だというのである。米軍が調査書で挙げた五項目は、まさに日本軍が耳を持たない兎だったことの証明に他ならない。                               

 ますます複雑化する国際社会の中で、日本が安全にかつ確乎として生きていくためには、なまじっかな軍事力より、情報力をこそ高めるべきではないか。

 長くて大きな「兎の耳」こそ、欠くべからざる最高の″戦力″である。



◆ 著者、あとがき


 いま想い出しても、情報の仕事は実に難しいものであった。幸いに堀には、土肥原、寺本の両将軍をはじめ、それぞれタイプの違った立派な課長たちが、その背中を見せてくれた。従って、学ぶか学ばないかは、自分自身の「やる気」にかかっていた。

 戦争が終って郷里に引揚げた昭和二十年秋、堀は「悲劇の山下兵団」と題して、某出版社向けに四百枚ほどを書き綴った。傍で見ていた父が、「負けた戦さを得意になって書いて銭を貰うな!」と叱った。堀が参加した比島決戦だけでも、四十七万七千名が戦没している。その人たちは書くことも、喋ることも、訴えることも出来ないのだ。明治男の父の言葉には、いつも言外に大事な意味があった。

 それ以来、堀は戦争についてはいっさい貝になっていた。それが敗戦から四十一年目の夏、ある雑誌の座談会があり、堀は出席していなかったが、レイテ決戦失敗の原因は「台湾沖航空戦の過大戦果を戒めた堀の電報を、大本営作戦課が握り潰したからだ」と、ある人が発言した。それが切っかけになって、堀が情報の仕事をどのように覚え、どのように処理し、どのように判断していったかが、各方面から注目を受けだした。同時にそれはそのまま、「日本軍はなぜ、あのように惨めな敗け方をしたのか?」を、情報の見地からはっきりさせてみては、という勧めともなった。

 いまや、戦争を体験しない人たちの世代となって、当時のことを知る術が次第になくなっている。そう思うと勧めに従って書くことが必要だと感じだした。だからといって、本書は情報のマニュアルではないし、日本軍における情報関係を体系的に研究したものでもない。ある日突然、情報の世界へ放り込まれてしまった男が、そのときどきの波や風に翻弄されながら困難と苦境にぷつかって鍛えられ、「情報職人」となって働いた個人的体験記録である。

 情報に無知な組織(国家、軍)が、人びとにいかなる悲劇をもたらすかと情報的思考の大切さを、本書の中から汲み取って下されば幸いである。




2012年5月 6日 (日)

礼節の国「韓国」の善行(最終回)




〓〓〓〓〓 大型連休読切りシリーズ 〓〓〓〓〓


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出典:金完燮著「親日派のための弁明」2002年草思社


 
< 韓国に非難をする資格があるか >


 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えるといわれて、なんの関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無辜の良民を見分けることができず虐殺したのはわずか三〇余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナムでは、「ダイハン」(韓国軍がきた)といえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣きやんで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらにアメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したともいう。このように韓国軍の残虐さを記録した資料は、計りしれないほどある。ベトナムの人びとは韓国軍に抹殺された村ごとに碑を建て、「ダイハン」の残虐行為を忘れまいと誓いあっている。米軍はベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺したベトナム人は三〇万人をこすと推定されている。

「遠くでダイハンが私たちを呼んで手まねきした。かれらは手にアメを一握りもっていたので、私たちはわれ先にもらおうと走っていった。しかし私たちが近づくと、アメをもっていたダイハンは笑いながら銃をとるや、いちばん先に走ってきた子どもの頭めがけて引き金を引いた。そうやって先にいった子どもが三、四人死んだ。私は殺されると思って逃げた。あれが果たして人間なのかと、身震いしながら走った。私たちは、大きくなったら必ず韓国からきたあの悪魔に復讐するのだと、なんどもなんども約束した」

「後輩のひとりが今年軍隊を除隊しました。後輩の話によれば、彼の部隊長は、ベトナム戦争のときに自分の部隊が村を丸ごと焼き払い、住民全員を撃ち殺したと自慢げに語っていたということです。かれらは修道女まで殺したそうです」

 この種の証言は、ベトナムでも韓国でも何人かに尋ねてみれば聞きだすことができる。たぶん軍隊生活の経験がある韓国の男性なら、ベトナム参戦軍人たちから数多く聞いていることだろう。いまとなってはそれほど驚くほどの内容ではない。

 よその国でのことはさておいても、朝鮮戦争のあいだ韓国軍と北朝鮮の人民軍はどれほど多くの無辜の良民を殺したことか。ベトナムでおこなった行為はすべて朝鮮戦争時に練習していた。当時、パルチザンが多くひそんでいた急峻な地方は「昼は大韓民国、夜は人民共和国」となった。住民にとってはどちらにも協力することが唯一生き残る道だったのだ。韓国軍は仁川上陸作戦以後、人民軍の占領地を回復しながら、こういう良民を共産主義者の協力者だとして殺した。虐殺は全国のいたるところでおこなわれ、韓国軍の手によって死んでいった人はすくなくとも数十万に達する。

 韓国人の行動でまったく理解できないところは、みずからそうやって自国民数十万を虐殺しておきながら、米軍が朝鮮戦争中、避難民を何人か殺したといってホワイトハウスの前でデモをし、アメリカ政府に公式の謝罪を要求する運動をくりひろげていることだ。いわゆる「老斤里米軍虐殺事件」だが、そのような「ささいな」虐殺事件に大いなる関心をもってアメリカ政府の謝罪を引きだそうという人びとが、なぜ韓国軍がおこなった虐殺事件には無関心なのかがわからない。朝鮮戦争以前にも米軍と韓国軍は済州島(1948年4月に済州島で暴動が発生。のちにゲリラ活動がつづいた)で多数の住民を虐殺したことがあり、麗水・順天の反乱事件(1948年10月済州島出動準備中だった第14連隊が反乱を起した事件)を鎮圧しながら全羅同一帯の良民を殺したこともある。だが、こんにち韓国人は自分たちがおこなった犯罪行為にたいしてはさほど関心をもたない。

 より最近の事例としては、一九八〇年の光州事件がある。このとき光州に進駐した戒厳軍は「スパイが市内を掌握している」というとんでもない訓示を受けていた。かれらはまるで銃剣や射撃の訓練をするかのように光州市民を殺した。これがわずか二〇年前のことだ。こういう国が果たして六〇年前、一〇〇年前におきた戦争で不可避だった人権蹂躙を根拠に、日本の悪口をいう資格があるのだろうか。軍国主義時代の日本は未成熟だったので、侵略戦争をしながら他国の人びとをたくさん殺したが、すくなくとも敗戦後には理性をとりもどし人権が保障される文明国になった。かたや韓国は、いまだに息子や娘を殺してもニカ月たてば出所して堂々と街中を歩きまわれる未成熟な社会であるという事実を知るべきだ。ほかの国の悪口をいおうとするなら、すくなくとも最低限の基本認識は必要だ。




2012年5月 5日 (土)

礼節の国「韓国」の善行(その8)




〓〓〓〓〓 大型連休読切りシリーズ 〓〓〓〓〓


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出典:金完燮著「親日派のための弁明2」2004年扶桑社


< 和夫一家殺人事件 >


 私は生粋の韓国人である。でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと死んでしまいたくなるときがある。なぜ日本の蛮行は暴いても、自分たちの汚い利己心と下品な鍋根性(熱しやすく冷めやすい)には目をつぶるのか? 日帝時代、朝鮮に移住した日本人の中には立派な人も多かった。ところが和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分の間違いを、日本がやったから自分たちもやったといい、事件をうやむやにしようとしている。和夫一家の亡骸は釜山に大事に改葬され、日本人の墓参りは今も絶えないという。

 和夫は日帝時代によく見られた、慶尚道地域の日本人地主であった。地主とはいっても、和夫一家は日本政府の朝鮮移住政策によって望みもしない朝鮮生活を始めることになったのだ。公務員だった和夫は、政府の命令でしかたなく朝鮮に赴任したのである。そのころの日本は一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わなければすぐに売国奴扱いされそうな雰囲気があったという。

 当時、朝鮮にいた日本人地主には、小作人から小作料を法令の規定以上取り立てる、不届きな輩もいた。しかし、普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一しかとらず、村人たちを家族のように考え、喜びも悲しみもともにした。生活に困らなかったため、総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。貧しい小作人が食べ物がないと哀訴すると喜んで食べ物を分けてあげ、村で誰かが亡くなると、家族全員がかけつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。このように和夫は人間への暖かい愛情をもった人であった。

 また、和夫の家族は周囲に孤児がいると連れ帰って面倒をみていたが、一人、二人と増えていき、一九四五年にはいつのまにか私設孤児院の規模にまで増えてしまった。しかし、和夫夫婦はこの孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んでその子たちの父、母と名乗った。和夫一家は日ごろから朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。だが、天皇の降伏宣言後、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちによって、むごたらしく殺されてしまった。

 次は、和夫夫婦が死んだ日、日ごろ深い恩を感じていたキム・ソンス君の報告を記録したものである。事件当時、キム・ソンス君も加害者だったが、殺人行為には加わらなかったという。

 その日から、万歳の声とともに太極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。神は自分が受けるべき朝鮮人のを横取りしたと、和夫君に嫉妬したのだろうか。和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年たちが、鎌とツルハシ、シャベルをもって、和夫のもと押しかけた。当時、現場にいたキム・ソンス君は、このときのことを次のように証言している。


 和夫;(優しい目で)なぜこんなことを、お前たち。

 A:チョツパリ! 日本へ失せろ。失せろってんだ。

 和夫:(わざと怒り声で)私がお前たちに何か間違ったことをしたかい? お前たちはみんな私の子供たちだし私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。お前たちの祖国が独立することは、私も日ごろから強く望んできたことだ。踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器をもって私のところに詰めかけてきたんだい。私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。(涙を流して)本当に哀しいよ、朝鮮の子供たち。私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合うことはできないということなのかい? お前たちが望むんなら、帰ってやろう。

 A:意味深長な目配せをBに送る(財産を全部処分して帰ったら、俺たちはどうやって食ってくんだ?)

 B:死ね、チョッパリ、このくそ野郎!

 次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルと鎌が体をずたずたに引き裂きはじめた。和夫の妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていたCは和夫の妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。そして、なんと十三人は、一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦しはじめた(キム・ソンス君はこの場で自分が止めたなら、自分も殺されていただろうと語る)。彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身をめった刺しにし、それでも足りずに内臓を掻き出して撒き散らした。

 和夫にはひみこという娘が一人いた。普段、模範的でよい子だったひみこは、学校が終わって家に戻り両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民たちは眠れなかったという。その後、孤児となったひみこは食べもの乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。ひみこは小学校六年生だった。和夫の財産は「勇猛で愛国心に燃える」朝鮮青年たちの手にまるごと渡り、この事件は村人たちの沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。


 ( 和夫一家殺人事件 )
 http://www.youtube.com/watch?v=bXvIsIRYAEU

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<「敵産」を分け合った南北朝鮮 >


 日本の敗戦後、南朝鮮地域では九月初めに第二十四軍団が進駐するまでの約一ケ月、無政府状態の時期があった。その後米軍政が始まり、朝鮮に住む日本人は米軍政の命令に従って全員日本に強制引揚されられた。その中には虐殺された日本人も多くいたとされる。

 単に、当時の満州やモンゴル、中国地域にいた日本人よりは、朝鮮にいた日本人の方がずっとましだったというだけで、朝鮮での虐殺は日本でもそれほど関心をもたれていない。残酷なソ連軍に占領された満州とモンゴル、そして国民党と共産党の中国地域にいた日本人は、軍人であれ民間人であれ、生き残るのが難しかった。特に、満蒙地域のソ連軍による蛮行は、抑留六十万人、虐殺六万人というのが通説だったが、ロシアのジャーナリスト、アルハングリスキーが書いた『シベリアの原爆』(邦題:『プリンス近衛殺人事件』、新潮社、二〇〇〇年)という本によりその実情が暴露された。この本によると、ソ連による日本人抑留は約百万人に達し、このうち四十万人が虐殺されたという。虐殺された人の方が原爆での死者より多いため、アルハングリスキーはタイトルをこう名づけたのである。

 終戦直前にスターリンのソ連は、日本との中立条約を一方的に破棄し、満州に攻め込み、ハ月十五日を過ぎた終戦後も無抵抗な日本兵、民間人を連行、シベリアの鉄道建設の労働力としてラーゲリ(収容所)に抑留しました。

 涙も凍る極寒のシベリアで食糧も防寒具もろくに与えられず、重労働を課せられ、実に四十万人という夥しい日本人が死亡していたのです。まさに「氷の原爆」です。しかも許せないことに死者の数字をごまかすために、スターリンは、わが同胞が涙にくれながら遺体を埋めて弔った日本人墓地の破壊までやってのけています。(前野徹『最後の首相』、扶桑社、二〇〇二年、一三九ページ)

 それに比べて、少なくとも南朝鮮では終戦初期に特別な事件は起こらなかった。しかし、日本人に対する評判がよかったといっても、その後、海外からいわゆる「独立運動家」を自負する者たちが続々と帰国し、米軍政も日本人に対する「いじめ」を唆したため、正確な数字は明らかでないにせよ、多くの日本人が虐殺されることになったのである。

 そして一九四五年八月十五日、朝鮮人が日本の敗北により独立を喜んだ一番の理由は、たぶん日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにすることが嫌だったからだろう。日本が日中戦争を始めても朝鮮はなんの影響もなく太平を謳歌したが、最後の一年は朝鮮人にも大きな苦痛がもたらされた。そのため、一部の朝鮮人にとって八月十五日は、残酷な戦争の苦痛から抜け出せた点で、また日本人を殺してその財産を奪える機会が与えられた点で、非常に喜ばしいことであったのかもしれない。

 朝鮮は日本の助けをかりて朝鮮王朝の虐政から解放され、その後、短時日のうちに資本主義工業国に発展し、高い生活水準を享受してきた。しかし、日本が戦争に負けるとすぐ、まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのように日本を呪い、財産を奪って虐殺した。この行為は、明らかに人倫に反する犯罪行為である。日本人をことごとく追放した後、韓国と北朝鮮の政府は強奪した日本人の財産を「敵意(敵の財産)」と呼び、堂々と分け合った。強奪された財産は金額に換算して、南朝鮮だけでも三十億ドルに達したが、工業施設が集中していた北朝鮮地域の強奪財産は韓国よりもずっと多かったと推定される。もし日本が戦争で勝つか、少なくとも領土を保全したまま休戦でもできたならば、はたして朝鮮人がこのように出ただろうか? たぶん以前に増して自発的に日本人であることを主張したにちがいない。ところが戦争に負け、ついていても得にならないと判断した瞬間、彼らは突然変わり、日本に対して仇として接しはじめたのである。では、この過程で米軍の役割はどのようなものだったのか。

 終戦当時、米軍が進駐してくると(注:一九四五年九月八日、マッカーサーの命令により、ホッジ中将率いる米第二十四軍団兵力七万七千人が、三八度以南の日本軍武装解除と治安維持を目的に仁川港に上陸した)、すぐ新聞にホッジ中将の新聞談話だったでしょうか、日本人は朝鮮人をとにかく二十数年にかけて搾取してきた、我々はその搾取された朝鮮人を解放するために来たのである、そんな風に宣伝をしました。朝鮮人側ではその通りだ、といいましたよ。日本人が我々を搾取したのだから、この混乱期に日本人所有の工場や財産は略奪してもいい、そういって日本人の工場や財産などを大々的に強奪する行為が風潮となりました。(朝鮮総督府官房総務課長・山名酒喜男の証言。『録音記録』韓国版二三七ページ)




2012年5月 4日 (金)

礼節の国「韓国」の善行(その7)




〓〓〓〓〓 大型連休読切りシリーズ 〓〓〓〓〓


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出典:金賢娥著「戦争の記憶(韓国人のベトナム戦争)」2009年三元社


◆ 疑心と恐怖 


「わかりません。なぜ殺したのか。いまも理解できません」

 ベトナム人はむしろ私たちに尋ねる。

「なんで韓国軍はわれわれを殺したのですか?」

 かれらは何故なのかわからないという。チュオン・ヴァン・ホアも、グエン・トイも、なぜ韓国軍が自分たちを殺したのかわからない、といった。

 当時子供で、生き残り、いまは小学校の教師となったブイ・ティ・ノンも聞いた。

 なぜ韓国軍が村人を殺したのかわかりません。村には老人と女性、子供しかいなかったのに・・・・。当時村に来た軍人に会えたら尋ねてみたい。なぜ殺したのか、いまでもわかりません。

 ブイ・ティ・ノンの目に涙がにじんだ。

 最初に民間人虐殺問題調査で現地に行ったとき、私はそれでも信じなかった。信じるにはあまりに残酷な話が多すぎるのだ。

 私は疑っていた。私たちを見て涙を流す人も疑わしく、淡々と話す人も疑わしかった。何が疑わしいかわからなくても、疑わしかった。ベトナムの人たちのことばを信じることができなかった。ある日あるとき、こんなに多くの人が殺されたということも、みな武器を持たない民間人だったということも、信じられなかった。

 この疑問を解くために私は尋ねまくったのである。

「韓国軍と交戦中にこうしたことが起こったのではありませんか?」

「だれひとりとして、武器をもっていませんでした」

「あなたは当時民間人でしたか?」

「農夫でした」

「あるいはVC〔ベトコン〕ではなかったですか?」

「いいえ。いまも昔も農夫ですよ」

「当時、死んだ人たちのなかにはVCがいたかもしれません。秘密活動をしていれば、あなたはわからないのではありませんか?」

「そんなことはないですよ。死んだ人は、私の父、母、おじ、いとこ、甥姪ですから、わからないわけはありません」

 証言をした人は堂々と胸を張った。

 しかし、ある日ふと、なんと暴力的な質問をしているのか気づいた。

 山のような苦労をして生き残った被害者に、私はむしろ怒りを覚え、あなたが当時民間人であったという証拠を出せといっていたのである。カインホア省〔Khanh Hoa〕からクアンナム省まで、ベトナム中部地域の村を自分の足で直接、訪問し、見聞しても、事実を認めまいとする私自身がそこにいたのである。一度もよその国を侵略したことがない平和を愛する白衣民族〔白い衣服を好む朝鮮民族のこと〕という神話が、事実を事実として認めることを、私のなかで拒ませていたのかもしれない。

「韓国軍の民間人虐殺」と自分の口でいうのに、長い時間がかかった。

 韓国の兵士たちがビンアン村に襲来し虐殺したとき、北ベトナム軍はいなかった。住民だけがいた。私の考えでは、万一戦争という状況で両者が交戦中に殺し殺されたのであれば、それはいまさら話す必要はない。しかし、問題は虐殺の対象が無辜の民間人であった点なのだ。

 クイニョンで会ったグエン・タン・フォン氏はこうはっきりと述べた。戦争最中ので一九六六年三月一九日と二〇日、党中央委員会がニアビン省〔Nghia Binh当時の省名〕テイソン県〔Tay Son〕で組織された

「中部各省での戦争犯罪」調査会議で事例の報告をした人物で、当時韓国軍の民間人虐殺を調査した張本人である。

 交戦状況では、自分が撃たなければ敵が撃つ、だから仕方なく撃たねばならないという状況論理について、あれこれいうことはない。戦争という状況に投げ込まれた個人が自らの生命を守るために銃を撃つことに、だれがそうするなといえるだろうか。

 しかし、「ナワウリ」が取材した村で起きた大部分の事件は、交戦状況ではないときに起こったのである。韓国軍が村で住民に照準を合わせたとき、一切抵抗しなかった。いや、できなかったのだ。



◆ ベトコンはおらず 


(クアンガイ省ソンティン県ティンソン社フオックビン村)


 一九六六年陰暦九月二七日〔陽暦一一月九日〕朝七時ごろでした。私たちはいつもとかわらず、食事をしたり仕事の準備をしていた。韓国軍は村に入ってきてやみくもに撃ちまくった。食事をしたり授乳したりしていた人が殺された。そして人を集めて殺しました。韓国軍がやってきたとき、私は避難壕のなかにいましたが、走り出てサトウキビ畑に隠れました。火がつけられ、大狂乱となりました。韓国軍が山に引きあげてから見たところ、二、三名ずつ、五、六名ずつ、あおむけになったりうつぶせになったり、いろいろな姿で死んでいました。食事をしていて死んだ人もいました。お乳をやっているところで死んだ人もいました。私の家はこれ以上にないひどさでした。父は食事中で器をもったまま倒れていました。目のなかにはご飯粒がそのままありました。甥姪たちはハイハイしていたので、ああ、死ななかったなと思ってみたら、ハイハイのまま死んでいました。扉のない避難壕にいってみると、母と甥姪たちが座っていました。死なないでいたと思って声をかけると、座ったままみんな死んでいました。姪は三人の子供と一緒でしたが、生後ニケ月の赤ん坊は死んだまま胸に抱かれていました。授乳中だったのか、片方の乳房がでていました。あまりにも恐ろしくて青ざめました。しかし、あの慰霊碑には三名の名前しかありません。六人の赤ん坊の名はありません。


 クアンガイ省〔Quang Ngai〕ソンティン県ティンソン社フオックビン村〔Phuoc Binh〕で会ったグエン・リトの証言である。話の途中で、かれは泣いた。手で地面をかきむしり、泣いた。

 歳月も薬とはならない。忘れることができない。父の口のなかに入っていた、この世の最後のご飯粒がいつも目にちらつき、幼い甥姪たちは三〇年経っても赤ん坊のまま、夢のなかでハイハイしている。

「あの日の虐殺で私は両親と兄、弟、兄の子、弟の子、全部で九名の家族を失った」

 事件当時韓国軍に頭部を殴打され脳損傷となった子と一緒に暮らしているレ・ティ・ティエット(女64歳)は冷たくいい放った。

 韓国軍は村に来て、まず家を焼き、家の後ろの避難壕に連れて行った。当時子供が二人いて、二歳の子を抱き十歳の子は横に立っていた。姉の子が三人、同じように避難壕に引っ張られていった。そこではすでに叔父、叔母が死んでいた。私たちも押し込まれたが、私は子供を見せて、どうか助けてください、と頼み込んだ。姉の子三人、私の子二人、私、姉、全部で七人で、助けて下さいと頼んだ。韓国軍は私たちを助けてくれた。しかし、そのとき私の子をつかんで投げて頭に傷を負わせた。その子はいまでも普通じやない。


 中年となったその息子、チュオン・ヴァン・トアンは横に立って笑っていた。

「耳が遠くなるほどに銃声がし、人が死ぬのを見た。韓国軍は、目にはいるものを手当たり次第に撃った」

 レ・ティ・ティエットの家も焼かれてなくなった。

 私たちは戦略村に行ったが、また戻ってきた。原則はこの村を守ることであった。ここが私たちの土地だ。ここで農業をしなければならない。そうして食べているのだ。VCが来ても韓国軍が来ても、村には若い男性はいなかった。韓国軍が見ても、子供と老人しかいなかった。だから殺されなかったのだと思った。その日も村にベトコンはいなかった。この村に来るまでに何があったのかわからないが、この村にはベトコンはいなかった。

 レ・ティ・ティエットは手を振り首を横に振った。

 ヴオー・トン(男、69成)の記憶もやはり同じだった。

 押し寄せる韓国軍と闘う覚悟なんてどこにあったというのか。銃もなかった。銃を撃ったら住民が虐殺される可能性が高いことはだれでも知っている。だから、その日の朝、韓国軍に銃を撃つなんてありえない。




2012年5月 3日 (木)

礼節の国「韓国」の善行(その6)




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出典:黄文雄著「朝鮮半島を救った日韓併合」2006年徳間文庫


 
< 虐殺文化(後編)>


◆ 李朝末期に見た両班支配下の無法国家


 韓国人は中国人と同じく、法意識がきわめて欠如した民族である。「法」とは、他人を規制するものであって、自分だけは例外なのだ・・・・という考え方が一般的である。「法」とは、権力者が民衆を統治する手段であって、権力者にまで適用する場合は、失脚したときに限る・・・・とも考える。今日の韓国社会では、全斗煥、盧泰愚元大統領の場合もそうであった。

 このような法意識の欠如は、近代市民社会の成熟を遅らせ、国民国家の成長を遅らせる大きな原因にもなっている。

 朝鮮総督府は、朝鮮近代史のなかで、とくに近代法治社会を目指したという点がきわめて重要である。

 およそ「倫理的」規範の強い社会は、「法的」規制はきわめて困難であることが多い。というのは、儒教倫理の原理とは、人治主義=徳治主義で、「法治」ではなく、最高の「仁義道徳」を持つ有徳者が国を治め、有徳者の感化によって「徳化」する社会、つまり「五倫(人として守るべき五つの道)」の秩序を守る社会ができると考えるからだ。それは、法治社会の構成や形成の原理とは違うのだ。

 だから朕すなわち「法」であるとともに、「法」とは「刑」とほぼ等しく他人を裁くものになる。孔子の時代には、「刑、大夫に及ばず」といわれていた。つまり、「法」とは民を「刑」に処するものであって、役人には適用されないものであった。しかし、李朝時代末期には、「法」があってもなきに等しかった。

 それだけでなく、人民の自由や権利は、保障されるどころか、そのような概念も存在していなかったのだ。

 たとえば、統監府時代に、平理院首席補佐官として招聘された中村竹蔵の回顧によれば、当時の平理院院長、李允用は李完用(日韓併合当時の大韓帝国政府の首相)の兄で、宮廷からの信任が厚く、判事、検事の任免は、すべて院長の意思のままに行なわれ、司法制度は存在していなかったという。大きな案件も院長の指図を仰いで裁判しており、いったん判決を下した事件でも、勝手に「特旨に依って減刑す」と変更し、判決が官報の内容と異なることもしばしばあった。

 宮廷と関係する人物には、死刑判決を下してもすぐに上からの命令で書き直され、「特旨に寄り死一等を減ず」というありさまであった(『朝鮮に於ける司法制度近代化の足跡」友邦協会 七~ハページ)。

 また、『朝鮮事情』(ダレ著、金容権訳、平凡社・東洋文庫)は、両班は世界中で最も強力で傲慢な階級と述べ、彼らが強奪に近い形で「農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できるね守令(知事)は一人もいない」と述べている。

 F・A・マッケンジー(一八六九~一九三一)は、有名なスコットランド系カナダ人の著述家で、日本の朝鮮統治についてもっとも批判的に書いたが、彼の『朝鮮の悲劇』(渡部学訳注、平凡社・東洋文庫)では、朝鮮の監獄について、「監獄は呪詛のまとであり、拷問は自由に行なわれ、周期的な監獄清掃に際しては一時に数十名の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された」(二七~二八ページ)としている。アーソン・グレブストの『悲劇の朝鮮』には、朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、「城塞の外で夜をすごすことは大変危険だったからだ。ソウルの外郭には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」(ハ〇ページ)と記されている。

 李朝末期の司法は、拷問で自白させ、賄賂が横行していた。判決は賄賂の多少によって決められた。ただでさえ牢屋が不十分で、近代的監獄がなかったので、犯人は笞刑にするかあるいは処刑される者が多かった。というのは、犯人が収監されると、食事や収容施設に経費がかかるからだった。死刑執行所は、監獄内にはなかったので、曝し者にされる以外の者は、たいてい近くの山中の松の樹や椚の樹に吊るして処刑された者が多かった。

 朝鮮総督府は、大正八年から文化政治を実施し、この非人道的な刑罰を廃止して、近代法治国家としての監獄をつくった。




2012年5月 2日 (水)

礼節の国「韓国」の善行(その5)




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出典:黄文雄著「朝鮮半島を救った日韓併合」2006年徳間文庫


 
< 虐殺文化(前編) >


◆ 朝鮮総督府時代と李承晩政権時代の安定度比較


 たとえば、李朝時代の反体制運動に対する残虐な処刑は、朝鮮総督府時代に比べると、じつに想像を絶するものであった。国外へ亡命した甲申政変(一ハ八四年)の指導者の一人である金玉均(一八五一~九四)は、よく知られるように騙されて、上海にまで連れ出されて暗殺された。その後、遺体が首と四肢とに寸断され、首がソウルで獄門にさらされた。『独立新聞』を創刊し、独立協会の主役となった徐載弼も、同じ甲申事変で、一族が惨殺され、国外へと亡命した。

 新国家体制や新政権に断固反対し、絶対不承認や過激な行動をとる人物がいることは、どの時代も同じであろう。

 朝鮮総督府の時代には、一九一〇年の日韓併合後から一九一九年の三・一独立運動にいたるまでの約十年間、一九一三年の独立義軍府事件、光復団活動、一九一五年の国権恢復団中央部事件、一九一七年の光復会事件など秘密結社の活動や反抗事件があったものの、きわめて散発的で、併合に対して行動で反対を示したことは、諸外国に比べて意外に少なかった。

 アメリカがイギリスから独立して二百年以上たったものの、現在でもイギリスには、合衆国の独立を承認しない団体が存在している。モンゴルはすでに主権国家として国連加盟までしたのであるが、中華民国政府は、現在でも中国の一部として独立を認めず、地図にも中国領土として描かれている。

 今日、少なからぬ在日朝鮮人は、韓国に対してさえ、南朝鮮として政権を認めていない。また、戦後の李承晩政権時代には、反体制学生運動弾圧や光州事件、さらに済州島の「四・三事件」のような「虐殺」といわれる歴史的事件が発生したが、「日帝三十六年」と比較して、文明的であるとはとても思えないのだ。

 少なくとも戦後、李承晩政権後の朝鮮戦争をへての十年間、あるいは十五年間の韓国社会と比べると、日韓併合後の十年間、あるいは統監府統治からの十五年間は、むしろ「日帝」時代のほうが、朝鮮の社会としては安定していた、と言うべきではあるまいか。

 戦後の李承晩政権は一九六〇年、学生運動(四・一九革命)で追われるまで、評判は芳しくなかった。たとえば、済州島の「四・三事件」における三万人虐殺は、すべてアメリカ軍政支配下で、アメリカ軍のせいにしたとしても、居昌事件(一九五一年、市民七百余人を共産ゲリラ容疑で虐殺)では、国会調査委員会の調査では、各地方で虐殺された市民が八千五百余人と報告し、立法、司法、行政機関が合同で「良民虐殺事件処理特別措置法」まで制定した。

 また、国民防衛軍事件(一九五一年)では、十万人が虐殺され、百万人の第二国民兵を飢えと疫病に追い込んだ。さらに保導連盟事件では、韓国の『ハンギョレ新聞』や『時事ジャーナル』によると、三十万人の虐殺があったと告発している。このほか「白骨団」、「土蜂団」などの組織が政敵を暗殺、処刑したり、野党国会議員五十余名の強制連行事件、野党副大統領、張勉の襲撃(一九五六年)、政敵である進歩党党首曹奉岩のスパイ容疑での処刑(一九五九年)、言論弾圧、不正選挙といった事件などは「日帝三十六年」と比較して、どれだけ朝鮮半島を動転させただろうか。

 戦後分断された朝鮮半島では、北の政権も南の政権も、双方から相手に対して独裁と虐殺を非難する言説があり、敵対者からのデマゴーグとして考えても、南北両政権の反体制運動に対する不寛容さは、総督府時代とはあまりにも対照的ではあるまいか。

 伊藤博文を暗殺した安重視をはじめ、テロリストを英雄視する戦後の朝鮮半島の民族英雄観は、じつに野蛮で悲劇的、そして矛盾だらけでもある。

 たとえば、総督府時代以来の民族運動の指導者は戦後、呂運亨、金九をはじめ、ほとんど暗殺や虐殺、連行、死刑の運命にあい、あまりにも悲劇的な死をとげているが、この事実をどう考えるのだろうか。そのような朝鮮半島の厳しい政治的現実は、総督府時代と比べて、どう説明するのであろうか。

 朝鮮近現代史研究者は、李朝時代の社会、朝鮮総督府時代の社会、今日の社会をもっと比較研究すべきではないだろうか。

 たとえば、同じ宗教問題の南次郎(一八七四~一九五五)総督の神社参詣強制と、大院君(一八二〇~九八)の異教徒虐殺とは、まったくその次元が違うとはいえ、その弾圧を比較するとどうなるだろうか。

 李朝は十九世紀に入ってから、カソリック教徒への激しい弾圧を続けた。たとえば一八〇一年の「辛酉教獄」で、清国人宣教師の周文謨をはじめ三百余名を処刑した。一八三九年の「己亥教獄」では、アンベールら三人のフランス人宣教師をはじめ二百余人を処刑、一八四六年の「丙午教獄」では、金大建ら二十余人を処刑した。一八六六年の「丙寅教獄」では、ブルマーをはじめとする九人のフランス人宣教師と南鐘三ら数千人のカソリック教徒を逮捕、処刑した。また一八六五年からの三年間、約八千余人のカソリック教徒を処刑という弾圧政策をとった。

 片野次雄の『李朝滅亡』(新潮社)によれば、この後の六年間、漢城府では千人以上のカソリック教徒が殺害され、全国では教万人の信徒が殺害もしくは収監された(二七ページ)。

 たとえば同じ光州事件でも犠牲者の数が桁違いだ。総督府時代の光州事件は、ただ日本人と朝鮮人通学生のケンカから起こった、いわゆる「民族差別」による朝鮮人の反日騒ぎにすぎなかった。

 しかし、一九八〇年五月に起こった光州事件は、市民二千人が虐殺され、三千余人が負傷したと告発されている。それは国家を防衛すべき自国の軍人が自らの市民に銃剣を向けたもので、二人の元大統領が、歴史的審判を受けたのは周知のとおりだ。

 私は中国の文豪、魯迅(一ハハ一~一九三六)が決して好きなわけではないが、彼のセリフの「ものは比べなければわからない」という一句だけは好きである。

 では、朝鮮総督府は、いったい朝鮮半島で何をやってきたのか。仮に日帝が「五十年支配」を行なったとしても、李朝の五百余年間、戦後の南北分断五十年間と比較をしてみたらどうだろうか。「搾取」「迫害」「虐殺」「抑圧」「弾圧」だけであったという見方は、ただ歴史歪曲そのものであろう。




2012年5月 1日 (火)

礼節の国「韓国」の善行(その4)




〓〓〓〓〓 大型連休読切りシリーズ 〓〓〓〓〓


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出典:野村進著「コリアン世界の旅」1996年 講談社



 
< 済州島4.3事件 >


◆ 済州島、ニッポンに一番近い島


 日本敗戦による「解放」の喜びもつかのま、済州島は大混乱の予兆をはらみつつあった。

 八月十五日以降、日本本土のほか戦前の樺太や満州・南方などに徴用でとられたり移住したりしていた人たちが、一斉に帰郷してきたのである。十五万人の島内人口は、あっというまに倍以上の三十数万人に膨れ上がった。香川県ほどの広さの、痩せた火山島には、彼らを養う余地などどこにもなかった。食糧事情は、目に見えて悪化した。日本の植民地下では許されなかった買い占めや売り惜しみが横行した。

 敗戦国・日本に見切りを付けて帰ってきたところが、故郷の窮状たるや日本どころではないではないか。やむなく日本にまた引き返していく人々が、皮肉なことに「解放」の翌年あたりから急増する。

 これに追い打ちを掛けるように、一九四八年から四九年にかけて、済州島史上最悪の惨事が起きた。島全体が戦場と化して、虐殺と放火と強制移住に覆い尽くされた、いわゆる「済州島四・三事件」である。

 この事件については、日本ではほとんど知られていないし、不明な点や未解決な事柄があまりにも多い。まず犠牲者の数からして、二万人から八万人までの幅があった。済州島の日刊紙『済民日報』が「四・三取材班」を組織して八九年から徹底的な調査を続けてきた結果、「三万人前後」という数字が死者の実数に近いのではないかとみられている。人命を量で比較するのは愚かなことだが、横浜スタジアムの収容人数がちょうど三万人である。島の人口約二十八万人のうちの三万人、実に九人に一人が犠牲になったのだった。

 事件の直接的な引き金は、明らかに、当時のアメリカ軍政下で南だけの単独政府樹立を目指して強行されようとした単独選挙である。それが、なぜ四八年四月三日の済州島・人民武装自衛隊による一斉蜂起に至り、果ては「済州島出身者で親戚の誰かが殺されていない者はいない」とさえ言われる集団虐殺にまで突き進んでしまったのか。

 大きな見取り図としては、日本軍敗走の直後から始まった、米ソによる朝鮮半島の奪い合いがある。アメリカは南の李承晩政権を支え、ソ連は北の金日成政権を後押しした。北の攻勢に脅威を抱いたアメリカと李承晩は、南の反共化を固めるべく単独選挙開催を急ぐ。これこそ南北分断を決定的にする策謀と、北と密接な関係にあった「南朝鮮労働党」は、済州島を拠点に反旗を翻した。単独選挙反対運動を武装蜂起に短絡させたこの動きに対しては、「左翼冒険主義」として批判する声が強い。だが、それ以上に非難されてきたのは、李承晩政権が済州島に投入した国防警備隊と、同じく武装蜂起弾圧にあたった極右団体「西北青年団」の、言語を絶する残虐行為の数々だった。仮借ない弾圧は、人民武装自衛隊ゲリラの報復を招き、血で血を洗う殺し合いがエスカレートしていくことになる。

 以上が事件の概略だが、このことに関しては真相究明どころか、つい最近まで外で話題にすることさえできない、韓国現代史最大のタブーとされてきた。

「どうしてそうだったのでしょうか」

 と、済民日報四・三取材班チーフの梁祚勲は、切り出した。

「私たちの調査では、犠牲者の九割が政府軍(国防警備隊)と警察および西北青年団によって殺されているからなんです。全斗煥や廬泰愚といった軍人出身の大統領が権力の座にあるかぎり、真相究明は不可能だったわけですよ」

 梁記者らが、直接被害にあった住民たちの話を聞いていくと、どうしても村という限られた範囲での体験談になりがちだった。たとえば、兵士や警官・西北青年団員らが、村に火を放ち、無差別に村人を殺したという告発。たとえば、あの密告者がいたから、犠牲者がこんなにも増えたのだという怨嵯の声。いずれも貴重な証言なのだが、それだけでは韓国のことわざに言う「脚だけを見て象を語る」ことになってしまう。

 四・三取材班は、大々的に行われた「焦土化作戦」を、事件の謎を解く鍵とみなしてきた。済州島の共産主義者とそのシンパを根こそぎにすべく、国防警備隊第九連隊を中心に進められた作戦である。そして、とうとうそこに一種の「割り当て」があったことを掴んだのだった。つまり、政府軍の担当地区に応じて、ここではこれだけの人数の「アカ」を討伐せよ、別の地区ではこれだけの「アカ」を殲滅せよといった作戦命令が出されていたのである。その結果、共産主義者でもシンパでもない住民たちが、いわば「数合わせ」のために虐殺され、「割り当て」に計上されていった。軍の上層部はそれをアメリカ軍に報告し、米軍側はそっくりそのまま共産主義勢力鎮圧の具体的な成果として、公文書にも記載している。   
      
「では、こういう作戦命令をいったい誰が出したのか。それを私たちは、これからなんとか究明したいんですよ」

 梁記者の話に驚愕しつつ、私はひとつの疑問を胸にくすぶらせていた。それは、蛮行の最も根深いところに、陸地出身者の済州島民に対する差別意識があったのではないか、という疑問だった。

 済州島出身の在日韓国人から、こんな話を問いたことがある。


「朝鮮の地域差別は、日本人にはちょっとわからないと思うくらいひどいんですよ。『陸地』でも慶尚道の人間は全羅道の人間を差別するけれど、それは『人間として』差別するんでね。慶尚道の人間も全羅道の人間も、済州島の人間を人間扱いしなかった。牛や豚の同類として差別したんです。済州島ではむかし人糞をえさにして豚を飼っていたから、僕らは『くそブタ』と呼ばれていたんですよ」


 人糞で豚を買う風習は、沖縄にもあったしフィリピンには現在も残っているが、朝鮮半島部にはないと言われている。

 済州島民は、陸地の人々とはかなり異なる文化を育んできた。たとえば、済州島のお年寄りがテレビで済州方言を話すときは、ハングルの字幕入りである。このように済州島民と陸地出身者とでは、各々が母語で話したなら言葉が通じない上に、歴史的体験も大きく違っていた。

 十三世紀、高麗王朝はモンゴル軍に蹂躙され、済州島も元の支配下に置かれるのだが、その後およそ一世紀ものあいだ、高麗が元の臣下を離れたあとも、済州島にはモンゴル兵が駐屯し、軍馬の放牧地に使っていた。鎌倉時代の二度にわたる元寇の際には、モンゴル軍はこの済州島を前進基地とし、済州島で飼育された蒙古馬に乗って、高麗軍と共に日本に攻め込んできたのである。その後の倭寇も、日本の海賊によるものだけではなく、軍馬を縦横無尽にあやつる済州島民が半島や大陸を荒し回っていたとする説もある。これら蒙古馬の末裔はいまも済州島の山野に生息し、最近でこそあまり聞かれなくなったが、

「モングンノメジャシ(モンゴル野郎)」

 という侮蔑語(「人でなし」「ひどい奴」といった意味)もある。済州島はまた、朝鮮王朝時代、政争で敗れ去った者たちの流刑地でもあった。

 こうした諸々の要因から、差別意識は塗り重ねられていったにちがいない。現在でも、陸地出身の在日のあいだは、子供に対して「済州との結婚」は認めないという風潮が根強く、「済州と結婚するくらいなら日本人と結婚するほうがまだまし」と口にする親もいる。崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』にも、そんな場面があった。

 四八年四月三日の蜂起以後、「アカの島」の烙印を押された済州島に送り込まれてきた政府軍兵士の大多数は、陸地出身者だった。しかも、右翼の西北青年団は、北の共産勢力に押されて南に逃げてきた、その名が示す通り朝鮮半島西北部の平安道出身の青年たちだったのである。アカ憎しの感情と、済州島への差別意識とが相乗作用を引き起こし、島民無差別虐殺に駆り立てた面はないのだろうか。日本人記者の無礼な質問に、梁記者は真摯な表情で答えた。


  「それも間接的にはあると思います。同じ地方の出身者ではなかったからこそ、あんなことがやれたということは言えるでしょう。でも、それは本質的なこととはちょっと違う。アメリカ軍政下での軍上層部の動きのほうに注目すべきだと思いますね。当時、韓国軍は米軍に作戦権も握られていましたから、まず米軍の焦土化作戦があり、それに従って韓国軍が全道で『アカ』と判断した者を皆殺しにしたわけです。問題は、その作戦命令を誰が、いつ、どのような形で出したのかということです」


 四・三事件の災厄から、高内里も逃れることはできなかった。

 旧暦十一月十六日の深夜、高内里のあちこちの家からは線香の匂いが漂う。翌十七日が命日なのである。同じ頃、東京・荒川の三河島駅近くにある通称「朝鮮市場」には、近所に住む高内里出身者が、こぞって祭祀にお供えする餅や食材を買いに来るという。旧暦十一月十七日は、新暦の十二月十七日。いまから四十八年前の十二月十七日は、高内里の三十九人の男たちが銃殺された、悲劇の当日なのだった。

「兄が連れていかれたのは、夜中でした。朝起きたら寝床がもぬけのからで、そのあと兄たちに何が起きたかを聞いたんですよ。ここからクルマで三十分くらい離れた外都というところに連れていかれて、畑に三十九人が一列に並べられ、機関銃で撃たれたという話です。あとは筵を掛けて、土をかぶせて、そのまま・・・・。ひと月後、引き取りに来いという連絡があって、うちの母が行きました。母親思いの兄でしたよ。数えで、まだ二十歳でした」

 安敞裕の兄・敞来は、日本の中学を出て、そろばんと柔道が得意だった。彼も済州島に戻ってさえこなければ、非業の死を遂げずにすんだにちがいない。兄を含む三十九人のうち、おそらく半数以上が日本で暮らした経験があるだろうと、安は推測した。

「 " 死婚 " はしたのでしょうか?」

 済州島出身の女性通訳が、さりげなく尋ねた。

「いや。あれをやると、家が栄えないというからね、うちではしなかったんですよ」

 うつむき加減に、安が答える。

 " 死婚 " ?・・・・。儒教を詳しく研究したことのない私には、どういうものなのか見当も付かない。後日、郷土史家で済州島歴史研究会会長を務める金奉拳玉の説明を聞いて、初めてその意味がわかった。

 死婚は済州島に限ったしきたりではない。未婚で死んだ者同士を結婚させて、家系を絶やさぬようにすることが、の最大の目的である。結婚式も、生きた者同士の場合と同じようにとりおこなわれるが、ただしそこには新郎と新婦がいない。式後もしばらくは二人のために食事も用意するし、布団のあげおろしまでする。家の財産はこの死者夫婦に相続され、それは二人のあいだに「生きた」養子を迎えることで引き継がれる。

 いったい花嫁も花婿もいない結婚式とは、どんなものなのか。その静まり返った婚礼の様子を思い浮かべてみると、家系とか血族というものに対する彼我の意識のあまりの違いに、私は呆然とするしかない。だが、そのような家系を守るための儀式すら、四・三事件の混乱時には、到底なしえなかったのであろう。

 三十九人銃殺の目撃者を、私は探しつづけた。

 現在の里長(村長)の父親も犠牲者の一人なのだが、そのとき里長は二歳ということで、父親の顔すら覚えていない。深夜、トラックで別の場所に連れていかれ、そこで殺害されているだけに、目撃した村人はいないのかもしれないと、私は半ばあきらめかけた。

 ところが、現場にいたという人が見つかったのである。それが、高内里史の生き証人とも言うべき九十歳の文公協翁なのだった。そのとき四十二歳だった文老人は、「民保団」という自警団的な組織の団長をしていた。マダン(仮面劇)の好々爺を思わせる表情で、文老人はこんなことを言った。

「『山の人間』に寝込みを襲われて、五人殺されたこともあったんです。クマをひとつ持っていかれましたよ」

 私は意味が飲み込めず、聞き返した。

「山から来たアカの連中が、青年団長のキンタマを取って持っていったんですよ。私は薮医者のようなこともしておりましたから、(遺体を)見たんです」

 何のために?

「それは、殺したと(共産ゲリラの同志たちに)証明するためでしょう」

 三十九人の時は?

「広い畑に連れていって、並ばせてボン・ボン・ボンと。それでも、二人は生き残っておったんです」

 生存者がいた!?

「でも、そのあと軍隊が来て『死ななかったのは誰か』と訊いて回り、一人は見つかって殺されたんですよ。もう一人は、それから二十年か二十五年ぐらいして、クスリを飲んで自殺しました。理由? 家庭の不和でしょう」

 私は、息苦しくなってきた。けれども、是が非でも訊いておきたいことがまだあった。

 三十九人のほとんどは、共産主義とは無関係だったと言われていますが?

「そうです。関係ないですよ」

 軍にそのことは?

「死ぬ覚悟で一度だけ言いました。『なんとかしてくれ、こんなに村の若い者を殺してしまったら、村の人口が減ってしまう』と。でも、軍人は何の反応も見せませんでしたよ」

 高内里の村の人口が減ってしまう、と・・・・。

「もう二度は言えなかったですよ。もう一度言ったら、自分がやられる雰囲気だったから。よその村で、兵隊を乗せていたトラックが何度も故障したというだけで、殺された人もおったんです。もう一度言ったら、『うるさい!』と私が殺されたですよ・・・・」

 しかし、高内里の被害はまだ少ないほうだったと、済民日報四・三取材班で高内里の取材を担当した金鍾受記者は語る。

「村人のほとんどが殺されたところもあるくらいですよ。大きく分けると、ものすごくやられた村とそれほどはやられていない村があって、高内里はやられていないほうなんです」

 取材班チーフの梁記者は、高内里の三十九人銃殺の日が、十二月十七日であることに重要な意味があると指摘した。

「四・三事件の死者は、一九四八年の十一月・十二月と翌四九年の一月・二月の四ヵ月間に集中しているんですよ。八〇パーセントが、このあいだに殺されている。ちょうど『焦土化作戦』が全島で行われた時期なんですね。それから、もうひとつ重要な点は、第九連隊と交代するために、第二連隊という精鋭部隊の先遣隊が済州島に入るのが、十二月十七日なんです。武勲で知られる第二連隊に交代するまでに、できるかぎりの成績をあげておかなければいけないということで、第九連隊はさらに虐殺に走った。そして、殺した人々を全部『アカ』と米軍には報告したわけです」

 高内里の三十九人も、単なる「員数合わせ」のために殺されたということなのか。




2012年4月30日 (月)

礼節の国「韓国」の善行(その3)




〓〓〓〓〓 大型連休読切りシリーズ 〓〓〓〓〓


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出典:野村進著「コリアン世界の旅」1996年 講談社



 < ダイハーン >


 視線が気になっている。

 この村に入ってきてから、私を見るベトナム人たちの目つきが、明らかにおかしい。

「ダイハーン・・・・」

 ささやく声がした。

  「ダイハーン・・・・」

 もう一度その声がしたほうを振り返ると、道端にしゃがみこんで笹餅やら皮を剥いたパイナップルやらを売っていた老婆たちが、上目遣いに私を見ている。

「ダイハーン(大韓)じやないですよ。ニャットバーン(日本)ですよ」

 通訳の日本人青年がそう言っているのに、老婆たちの視線にこめられた警戒の色は和らがない。

「ほんとにそうか? ダイハーンじゃねえのか?」

 頭に古布を巻いた老婆が、歯の欠けた口を開けて問うた。そうではないと重ねて否定しても、まだ疑っている。

「日本人なんて言ったって、ほんとはダイハーンだろ?」

 ベトナム南部のカインホア省ニンホア県ラクアン村・・・・、いまから三十年余り前の七月、この村で韓国軍による住民無差別虐殺事件が起きた。

 生き証人が現れた。ブーン・スサと名乗るモーター・シクロ(バイク輪タク)の運転手だった。


「ちょうど朝飯くって、ひと息いれているときでよ。いきなりダイハーンのやつらが入ってきて、もうバババーッて目茶苦茶にぶっぱなしやがってよ。おやじとおふくろ、それと妹が三人いたんだけど、みんな死んじまって・・・・。おれもやられて、そのとき気ぃ失ったんだろうなあ。あとでアメリカの病院で聞いたんだ、みんなやられちまったって。おふくろの体を突き抜けた弾が、おやじに当たってたって。かわいそうになあ。妹ら、まだ.(数え年で)六つと四つと一つだったんだよ・・・・」           


 ほとばしるような口調でそこまで話すぐスサは絶句してしまった。充血した目が濡れている。孤児になったときは、数えで十二歳。彼自身も、右側の肋骨下と上腕、脇の下、太股の四カ所に被弾したという。

 私のほうから頼む前に、

「ほれ、ここさ」

 と、自分でシャツをまくりあげ、傷痕を見せてくれた。

 これは、ひどい。みぞおちのすぐ右に、焼きごてを押したような黒い凝結痕。

「で、こっちに突き抜けた」

 くるりと背を向けると、そこにも小さな、だが痛々しい空洞の跡があった。

 米軍野戦病院で意識を取り戻した彼は、激痛にあえいでいるとき、家族五人全員の死を聞く。悲しみよりも恐ろしさが先に立って、震えが止まらなかった。


「ダイハーンは恐ろしい連中じゃった」

 別の声の主は、そばで私たちの話を聞いていた、体の水分が抜けきったような短髪・ゴムぞうりの老人だった。

「死んだ人間から耳を切っていきよった。鼻を削がれたもんも、首を狩られたもんもおる。そんなことは、もうどこでもあったことじゃ」

 スサー家を含めて、この事件での住民の犠牲者は十二名にのぼり、ベトナム戦争中この小さな村だけで四人の子供が孤児になった。ベトナム戦争で死んだベトナム人の総数は、三百五十万人とも三百八十万人とも言われている。

「恨んでなんかいないさ。恨むったって、どこの誰を恨んだらいい」  
     
 にこりともせず、スサが言う。よく笑うベトナム人の中で、この人はまったく笑顔というものを見せない。同じ表情で、彼は、

「オシンと一緒だったわけさ」

 そう付け加えた。NHKの朝の連続ドラマ「おしん」は、ベトナムでも大評判をとり、子役の小林綾子がこの国を訪れたときは、共産党の機関紙ですら一面トップに大きな写真入りで「オシン来たる」とやったものだ。あれはたしか明治時代の東北寒村の話だったが、戦争と貧しさの中、家族との別れに耐えて懸命に生きる少女の姿は、ベトナム人の心をとらえた。何の不思議があろう。目の前に、スサのような「おしん」が無数にいるのだから。

「あれ観てたら、涙でるよ。かわいそうで、いじらしくてなあ」

 スサの顔が、ようやく和んだ。いつのまに集まってきたのか、私たちを取り囲んで、二重三重の人垣ができている。戦争からおしんに話題が移った途端、おしん談義があちこちで始まり、笑い声さえあがるようになった。日本人に対面するのは私が初めてという人たちが、親類の娘のことを話すように「オシン」「オシン」と言っている。

 そのとき、かたわらの国道をこちらに向かってくる大型バスに気づいた。行き先表示板を見て、我が目を疑った。

「阪神御影上り」            

 おしんの話ばかりしていたから、突然、日本のバスが現れたわけでもあるまい。私は、日本の中古バスがベトナムで生き延びていることを事前に知ってはいたが、「御影」と言えば阪神大震災取材のさい何度も乗り降りした駅の名。そこから先、鉄道が不通で、被災地に向かうためには、ここで代替バスに乗り換えなければならなかった場所なのである。

 こんな偶然もあるのだ。時間と空間が「混線」したかのような風景に、私はしばし呆然としていた。

「阪神御影上り」行きバスは、韓国軍による住民虐殺の記憶も生々しいベトナムの村に、昼間の亡霊のように現れ、だが亡霊にしては派手に土煙をたてながら、あっけらかんと走り去った。




2012年4月29日 (日)

礼節の国「韓国」の善行(その2)




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出典:名越二荒之助編著「日韓共鳴二千年史」2002年明成社


< ベトナム戦争と朝鮮動乱の教説(後編)>


◆ 韓国を侵略した中共軍への抗議を


 そしてこれに関連してもう一つ触れたいことがあります。それは朝鮮戦争についてです。

 一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日、その日は日曜日でしたが午前四時、戦車二百五十台を連ねる北朝鮮軍が突如として三方面から三十八度線を越えて、韓国に侵攻してきました。韓国には飛行機も戦車もなく、対戦車砲やバズーカ砲で応戦しても、北朝鮮の巨大なスターリン戦車には歯がたちません。李承晩大統領が、北朝鮮南進のニュースを知ったのが、その日の午前十時という始末でした。逓信部長官の張基栄(後の副総理)は、「ソウルを死守してこそ、民主主義の芽は育つ」と呼びかけ、政訓局長の李誼根大佐や元日本軍人であった将校等は、怒声をはりあげて首都死守を訴えました。しかし李大統領自身が二十七日にはこっそり首都を捨てて南下しています。韓国軍は雪崩を打って撤退し、二十八日には完全に首都ソウルは占領されました。やがて国連軍の介入により体勢は持ち直すかのように見えましたが、大邱・慶州の線で止まるのが精一杯であり、八月二十日には、首都を釜山に移しました。季大統領は首都を日本の山口県に移す亡命計画さえ立てていました。

 ところが、九月十五日、米軍のマッカーサー司令官によって仁川上陸作戦が決行されました。これによって一挙に逆転に成功したのです。九月二十八日にはソウルを奪還し、翌日、李承晩は韓国軍に対して更に北進を命じました。国連総会も三十八度線を越えることを認め、国連軍も北進を続けました。北朝鮮軍は追い立てられ、武器も弾薬も遺棄して逃げ帰りました。帰りついた兵力は約二万五千名内外、戦う武器も乏しく、崩壊寸前に追い込まれました。その時既にマッカーサーは北朝鮮に対し、無条件降伏を呼びかけています。

 十月十五日にはマッカーサーは、アメリカのトルーマン大統領とウエーキ島で会談を行ないましたが、その時彼は「中共(中国共産党)軍は出て来ない。感謝祭(十一月二十三日)までに朝鮮戦争は終る」と自信をもって語っていました。韓国軍も国連軍も、北朝鮮の首都・平壌が陥落したら戦争は終わると信じており、十月二十日には平壌の占領が完了しました。あとは残敵掃討作戦に移ったのですが、北朝鮮の首都が国境の新義州に移ったと伝えられると、マッカーサーは「鴨緑江に向けて突進せよ」と命令しました。

 このような韓国・国連両軍の勝利感を背景に、十月二十八日、李承晩は平壌に乗り込みました。私はその時のニュース映画を見ましたが、平壌市民がいかに熱烈に歓呼したか。共産主義からの解放を喜ぶ市民の顔と声をスクリーンが写し出しました。それはやらせでも演技でもない熱狂的な市民の姿でした。大統領は大群衆を前に、「全韓国解放と民主韓国統一」を呼びかけました。

 この時は誰もが、これで朝鮮全土は韓国路線で統一されると信じていました。しかも侵略軍を追い払って、国連監視のもとに自由選挙をして統一するのですから、天下晴れての統一です。私などあの頃、朝鮮戦争は六か月で結構な結末をつけるもの、と信じておりました。

 ところが「好事魔多し」というか、予想もしない事が起ったのです。その頃既に中共軍は隠密理に北朝鮮領内に侵入していました。十一月二五日から十二月六日にかけて、一挙に十八師団の大兵力を投入して、西部戦線に集中攻撃を仕掛けました。その後も中共軍は次第に増強され、七十万に達したと言われます。中共軍は国内戦を戦った歴戦の軍隊です。命をものともせぬ集団が、人海戦術をもって攻撃してきます。そのため翌年の一月四日にはソウルが再び奪われました。

 米軍は空爆を強化し、国連軍も戦線を立直し、反攻に転じて再度ソウルを奪還したのは三月十四日。その後は三十八度線を中心に一進一退の攻防が続きました。

 マッカーサーは勝つために中共軍の後方支援拠点である満洲への爆撃を提唱しましたが、大戦争に発展することを警戒したトルーマン大統領によって四月十一日、司令官を解任されました。六月になると休戦のための会談が始まり、膠着状態のまま、戦闘は継続しました。一九五三年七月二十七日、休戦協定が調印されるまで、三年と一か月に及ぶ「勝利なき戦争」が続いたのでした。

 朝鮮戦争のことを書き過ぎたかもしれませんが、ここで韓国に申し上げたいことがあります。朝鮮戦争は韓国が主導して統一できる絶好のチャンスでした。多大の犠牲を払いながらもそのチャンスが開戦六か月にして訪れたのでした。それを妨害したのが、中共軍でした。中共軍の侵略によって三年余の悲惨な戦争となり、韓国・米国・国連軍全体の戦死者が四十五万余、戦傷者は五十五万人を越え、国土は焦土と化し、国民すべてが悲惨な境涯に追い込まれました。その責任が中国にあることは国連も認めるところです。韓国はこの判りきったことをなぜ取りあげないのですか。中国に対して謝罪と補償をなぜ求めないのですか(一九九二年の中韓国交回復に際して、韓国の李相玉外相は、中国に謝罪を求めないと明言している)。中国は強国であり、求めても相手にされないことが判りきっているから遠慮しているのですか。韓国の教科書でも「中共軍の介入で戦闘は新たな様相を帯びるに至った」と書いているだけです。「日帝三十六年」の「侵略行為」については詳しすぎるくらい記述しているのに、余りにアンバランスではありませんか。

 韓国が精神的にひ弱な日本を追及する前に、中国に対しても厳しく責任を問う姿勢を示したら、日本人も「正義の国・韓国」に対して敬意を払うことは間違いないでしょう。



            

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