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2013年8月12日 (月)

この厄介な国、中国(第1回)




 
夏休み読み切りシリーズ

 < 岡田英弘著「この厄介な国、中国」2001年ワック刊から >


「中国人は分からない」からの出発



 一衣帯水という言葉がある。一本の帯のように見える水という意味で、川や海の幅が狭いことを指す言葉である。この言葉は、日本と中国の関係を言うときに、よく使われてきた。それほど、日本と中国の関係は地理的にも精神的にも深いと言われている。

 ところが、それほど親密な隣人であるはずの中国人との付合いにおいて、戦前にしてもそうだが、ことに戦後半世紀以上にわたって、政府にしても、企業にしても、日本人はことごとく対応を誤ってきた。「中国人のやることは分からない」これが少しでも中国人と付き合ったことのある日本人の率直な感想だろう。いや、親しくなればなるほど分からなくなる、と言ったほうがいいかもしれない。

 なぜこのようなことが起こるのだろう。私に言わせれば、この一衣帯水、同文同種という言葉こそが、すべてのトラブルの源となる。

 このことは後で詳説するが、中国および中国人を理解するためには、「書かれていること」より「書かれていないこと」のほうが重要なのである。

 私も東洋史学者のひとりとして、十代のころから無数とも言えるほどの漢籍・・・・つまり「書かれていること」と格闘して、中国の本質を理解しようとしてきた。自分で言うのもおこがましいが、こと漢籍の読書量に関しては、現在の東洋史学界において、私は誰にも引けを取らないと自負している。

 だが、いくら漢籍を読んでみても、中国の本質は分からない・・・・皮肉なことに、私が漢籍と格闘した結果、到達した結論はこれであった。漢籍に「書かれていないこと」のほうが、実は中国理解にとって本質的に重要なのである。

 古来、日本人は「同文同種」の民族として、漢文を読み込むことで、中国を知ったつもりになってきた。しかし、それは、きわめて危険なことで、日本人が中国および中国人を理解することに失敗してきた最大の原因は、実はここにあるといっても過言ではない。

 中国人を知ろうと思うなら、まず同文同種、一衣帯水という幻想から自由になる必要がある。「書かれていること」だけを読めば、さながら彼らは日本人の同胞であり、友人のように見える。

 だが、それは違う。中国人には、中国人独自の行動原理がある。そして、それらは日本人とは極端にかけ離れている。だが、それを理解しないかぎり中国人を理解することはできないのである。




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