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2013年8月19日 (月)

この厄介な国、中国(第8回)




 
夏休み読み切りシリーズ

 < 岡田英弘著「この厄介な国、中国」2001年ワック刊から >



 
反中国としての「日本」の誕生


「日本」という国家が誕生する前、つまり倭国の時代の日本列島には、さまざまな人間が暮らしていた。もとから日本列島に住んでいた人もあれば、朝鮮半島や大陸から移り住んできた人々もいた。そうした人たちが渾然と暮らしていたのが倭国であって、そこには当然のことながら、日本人という意識はない。なにしろ、国境という概念もないのだから、それは無理もない話である。また、倭王の朝廷にしても、日本列島全体が自らのテリトリーであるという明確な意識もなかったことであろう。

 ところが、そのような曖昧な状況に終止符を打たざるをえない状況が海の向こうで起こった。それは唐帝国の出現である。隋を滅ぼした唐は朝鮮半島に勢力を伸ばし、新羅をまず属国にした。そして、その新羅は唐からの軍事介入を得て百済、高句麗を滅ぼし、ついに六七六年、朝鮮半島全体が唐=新羅の支配下になったのである。

 ここに至って、「倭国」はついに二者択一の選択を迫られることになる。つまり、朝鮮半島同様、唐の支配を受けるか、それとも独立を保って彼らに抵抗するか・・・・。

 当初、倭国は唐に対する接近策を採った。「倭国」としての最後の遣唐使が持って行ったのは、その二年前の六六八年に新羅=唐の連合軍が高句麗を滅ぼしたことへの祝辞であった。それまで倭国は、百済と結んで新羅=唐の侵略に対抗していたわけだから、祝辞を出した背景に、唐帝国に対して低姿勢を採ることで、倭国への侵略を防ごうという意図があったことは明白である。

 しかし、誰が考えても分かるように、そうした「お世辞」を言ったところで、唐の姿勢が変わるわけではない。その一方、日本列島にいた人々は、大陸や朝鮮半島からの移住組も含めて、自衛のために団結することに衆議一決した。それが七〇二年の遣唐使が「日本」からの使者を名乗った理由であるというのが、私の解釈である。

 だから、七〇二年以後の遣唐使は一度として、正式な国書を携えなかった。それ以前の倭国からの遣隋使、遣唐使は、かの「日出る処の天子・・・・」の国書で分かるように、曲がりなりにも国書を持って行ったわけだが、「日本」成立以後は国書を持っては行かなかった。そのことは中国側の史書にも記されていて、日本の遣唐使が国書を持っていないために、彼らの身元確認に苦労したということも書かれている。

 なぜ、国書を持たなかったかと言えば、もし正式な国書を持って行けば、それは唐に対する明確な不服従を表明することになるからである。

 というのも、日本が国書を起草することになれば、「日本天皇」という文字を使わなければならない。天皇という称号も、日本という国号制定と同時に定められたものであるが、天皇の「皇」という文字に、「中国皇帝と対等なる主権者」という意味が込められているのは言うまでもない。だから、天皇による国書を呈示するということは、「唐の皇帝の支配を日本国は認めない」ということの表明に他ならない。

 もちろん、日本は最初から「中国の支配下に入らない」ということを国是にして誕生した国家であるわけだが、現実論として、それをあからさまに相手に宣告するのは喧嘩を売るような愚行でしかない。そこで、日本の朝廷は「政経分離」、つまり正式な国交関係は持たずに、中国との経済関係を保つという方針を選択した。それが「国書なき遣唐使」なのである。

 この「政経分離」の方針は、十九世紀に日本が欧米に対して開国するまで貫かれた。

 その間、足利義満が「日本国王」を名乗って、明と貿易を行なったり、あるいは江戸幕府が朝鮮からの通信使を受け入れたという事実はあるが、日本側から見れば、義満も徳川家も日本の正式なる主権者ではなく、建前のうえからは、あくまでも朝廷から任命された征夷大将軍にすぎない。日本の主権者は、建国以来、ずっと天皇である。だから、足利義満や江戸幕府のやったことは単なる「私交」であって、正式な外交関係とは呼べないわけである。

 日本が中国大陸を支配する政権と、史上初めて正式の外交関係を待ったのは、一八七一年の日清修好条規からである。しかし、その時代の中国はそもそも満洲族の「植民地」なのだから、中国本来の政権とは言いがたい。本当の意昧での中国との正式外交は、一九一二年の中華民国成立を待だなければならなかったのである。

 重ねて言うが、日中両国間の国交は二十世紀まで、一度もなかった。日本という国は、もともと中国と絶縁することを目的として建国されたのだから、それはまことに当然のことである。鎖国はなにも江戸幕府の専売特許ではない。日本という国は、鎖国を基本政策に据えることから始まった国家だったのである。




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