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2015年5月 6日 (水)

大型連休読切特集、中国大虐殺史(最終回)




 
石平著「中国大虐殺史:なぜ中国人は人殺しが好きなのか」2007年ビジネス社刊から


 中華帝国が産んだ虐殺の論理……後書き



 秦帝国の統一戦争から共産党政権の北京虐殺まで、約2500年にわたる殺戮の中国史を詳述してきた。最後に残された大きな疑問は、この国の歴史ではなぜ、これほどまでに多くの虐殺が行なわれたかである。

 仁や恕を説く儒教を「国教」として戴くわが民族が、どうしてこれほどまでに人殺しが好きなのか。

 中国大虐殺史のなかでも、明末の張献忠政権と現在の中国共産党政権は、血に飢えている点で突出している。ともに「遊民の反乱」から身を起こした「地痞流氓政権」であることは、第五章で分析したとおりである。レーニン流の暴力革命の理論が共産党政権をいっそう暴虐化させたことも前述のとおりだ。

 しかし、両政権を含め、中国の歴代政権と為政者の多くがあれほどまで殺戮を好んだのは、やはり中国の伝統に根ざした何らかの共通要因があったと考えるべきであろう。それはいったい何なのか。

 結論からいうと、やはり秦帝国以来の中国独特の権力構造にこそ、最大の要因があったと思う。

 奉の始皇帝が史上初の大帝国を作り上げて以来、歴代の中華帝国は、一貫して絶対的な権威と権力を持つ皇帝を頂点に、中央集権的独裁体制を敷いてきた。皇帝は、「天子=天の子息」として神聖性と最高の権威を賦与されるとともに、絶対的な権力を持つ政治的独裁者であった。三田村奉助はそれを「絶対帝制」と名づけたが、日本でいえば天皇と将軍、西欧でいえば法王と国王を合体させたものが中国の皇帝であり、権力の集中と絶対化は極限まで進んだ。

 こうした絶対的な権力は当然、多くの弊害と悲劇を生み出していった。本書の主題である「虐殺」もまた、絶対的な権力の副産物として生まれたものである。

 第一に、絶対的な権力があったからこそ、恣意的な虐殺が可能となった。明朝の開国皇帝である朱元璋の所業は、その典型例である。彼こそは前述のように、「絶対帝制」を完成させた張本人であり、まさに絶対的な皇帝権力をバックに、冤罪事件である疑獄を数回も捏ち上げ、5万人以上の臣下たちを意のままに殺した。朱元璋の朝廷では、大臣が皇帝の気に入らぬ言動を少しでもすれば、たちどころにその場で打ち殺された。

 殺戮の実績で朱元璋をはるかに凌ぐ暴君は、現代史上の毛沢東である。「皇帝」という称号こそ名乗らなかったものの、党、軍、秘密警察を一手に握る彼は、実質上、朱元璋以上の独裁者だった。中国共産党による一党独裁下ですべての権力を掌握し、彼の目から発せられる1回の殺戮指令や殺人ノルマで、数十万人の罪無き人民たちがいっせいに惨殺されていった。

 諸悪の根源である絶対的権力は、中国史の「名物」ともいえる虐殺を生み出す最大の元凶でもあったのだ。

 絶対的権力の存在は、別の意味でも虐殺を引き起こす原因となっている。

 皇帝の権力が絶対化されると、皇帝以外すべての人間は自らの生存権が保障されない状況におかれる。かみ砕いていうと、皇帝が誰をも簡単に殺せるので、皇帝以外の人間はすべて安全でなくなるのだ。すると、権力の中に生きる人間たちは、自らの生存と安全を守るため、皇帝に取って代わるか、皇帝からの寵愛を一身に受ける立場を勝ち取るか、それ以外に道はなくなる。

 反面、皇帝の権力が絶対なので、誰もがいったん皇帝となれば、あるいは皇帝からの寵愛を独占できれば、権勢も財産も威信も、欲しいものすべてが手に入る。

 こうした状況下で、皇帝の椅子、皇帝からの寵愛をめぐる権力闘争は、まさに生きるか死ぬかの熾烈な戦いとなる。残虐な殺戮も当然、生じてくる。

 だからこそ、皇帝となるために親、兄弟、甥を簡単に殺してしまうのが中国史の常となり、いったん皇帝となった人間は、前政権の皇帝の子孫、親戚、縁者すべてを根こそぎ虐殺してしまうのが政治の鉄則となった。

 また、皇帝からの寵愛をめぐる宦官と外戚の戦い、外戚・官僚集団の権力闘争が関係者の一族全員を巻き込んで過激に展開される。その結果、「族誅」という大量殺戮の悲劇が毎度のように発生したのである。

 皇帝権力の獲得をめぐるより大きな戦いは、やはり王朝交代の際における天下取りの戦争である。壮絶なこの類いの戦争は、中国史上で数十回以上も繰り返されてきた。全人民の20人に1人を殺した秦王朝の統一戦争、残忍極まりない「屠城」を数多くやり遂げた清王朝の大陸征服戦争を見ればわかるように、王朝交代の大戦争は、常に夥しい流血をもたらした。

 結局、中国では、権力が絶対化されているために、「権力による、権力のための虐殺」が絶えることなく起きてくるのだ。それは、中国史の悪しき伝統の1つとなっている。

 日本史との対比で、この点はいっそう明確に見えてくる。

 長い日本史のなかで、唯一、中国流の虐殺を断行した権力者といえば、やはり戦国時代の織田信長であろう。しかし、彼の出現と存在は、むしろ日本史における例外である。彼は、日本の歴代権力者の中で唯一中国流の絶対権力の樹立を目指した人物である。殺戮を好むという点で隣の中国大陸の権力者とよく似ているのも頷ける。

 しかし、この「天魔信長」を除くと、神武天皇以来の2700年弱の日本史のなかで、大量殺戮を好むような権力や血に飢えた為政者はほとんど見当たらない。源平の合戦にしても、天下分け目の関ケ原の戦いにしても、戦死者の数は知れたものである。権力闘争に負けた者への処分はせいぜいが島流し程度である。時には、謀反の首謀者が首を刎ねられることがあっても、いわゆる「九族」全員が皆殺しにされるような「族誅」は皆無であろう。少なくとも、「大虐殺」と呼ばれるほどの大量殺戮は、日本ではめったにない。

 私の推測ではおそらく、そうなった原因の一つは、やはり日本の歴史で絶対的な権力がほとんど出現していない、ということにあったと思う。

 権力を持たないことがむしろ日本の皇室の常態であることは言うまでもないが、権威と権力の分離が特徴である日本的政治構造では、平安朝の摂政・関白にしても、鎌倉の執権にしても、江戸の将軍にしても、絶対的な権力者にはなれないのである。

 こうした日本独特の権力構造の中で、天皇が誰かを恣意的に殺してしまうことは最初からありえない話だし、天下の徳川将軍にしても、刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭一人を切腹させ、「御家取り潰し」することが、権力の限界である。

 つまり、中国流の絶対的権力が最初から存在しないからこそ、中国流の大量殺戮の伝統も当然生まれない、ということである。おそらく民族性も影響しているであろうが、日本の政治はいたって穏やかである。

 余談になるが、この問題は、本書の前書きで言及した「南京事件」ともつながっている。事実の検証は専門家に任せるとして、少なくとも私から見れば、日本の歴史的伝続から「大虐殺」の発想が生まれてくる余地は最初からないと考える。

 それに比べ、絶対的な権力を次々に生み出してきた中国の歴史は様相が異なる。権力はもともと攻撃性の強いものだが、絶対的な権力となると、その攻撃性は、殺戮という最大級のものに行きつく。中国史上の数多くの悲劇はここから生まれてきた。

 中国で虐殺を生み出す根源の「絶対帝制」は、けっして過去の歴史ではない。現在でも、軍、政権、秘密警察を牛耳る中国共産党の絶対的な権力は、依然としてこの国を支配している。

 18年前の天安門事件以来、この政権がしばらく、これといった大虐殺を引き起こしていないのは事実だが、その本性は変わっていない。人民解放軍の某将校は記者会見で、「中国は西安以東のすべての都市が報復によって破壊されたとしても、米国に核攻撃を仕掛ける用意がある」と豪語した。一見穏やかな顔をしている温家宝首相も、「個人の生命は惜しむに値しない。祖国の統一は個人の生命価値をはるかに超える」と恐ろしいセリフを吐いて、台湾への軍事攻撃の決意を表明した。いずれも、つい最近のことである。

 「個人の生命を惜しまない」と公言する政権の支配下では、「権力による、権力のための虐殺」が、いつ起きてきてもおかしくない。「中国人虐殺史」は、いまだ終わっていないのである。



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