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2018年8月17日 (金)

危機管理




 
々淳行著「定本・危機管理」2014年9月きょうせい刊から


 第1節 危機管理


 クライシスとリスクの違い



 
危機管理でいう「クライシス Crisis」とは、生命、財産や組織の名誉あるいは存続に関わる重大事件・事故であり「リスク risk」とは異なる。

 一言でいえば、リスクは損得に関することであり、クライシスは生死に関わる問題である。リスクは予測可能で未来推計学や確率、コンピュータになじめる、また一定の割合で損害をヘッジ hedge することもできる。

 ところが、危機管理でいう「危機」は、予測がまったく不可能で、いつ来るかわからない地震のような自然災害や、ハイジャックのように人間の邪な意図によって引き起こされるものを想定している。これらは予測のしようがないものだし、いくらコンピュータにインプットしておいても「いつ起きる」という返事は期待できない。どんな事件や災害が起るかは予測がつかない。

 「いざ」というときにどうしたらよいのかという方法論に関する考え方が危機管理なのであるから、政治家や行政責任者にとっての問題にとどまるのではなく、企業経営者にとっても必要なものであることはいうまでもない。ただ、戦後の平和な時代を過ごしてきた日本の企業には、危機管理の発想とノウハウが欠如していたことも事実である。危機が発生したとき、経営者がクライシス・マネジメントの手法を知らないと、その組織はマネジメント・クライシスに陥り生き残れない。

 クライシス・マネジメントとは、損得や経済的なプラスを増やすことでなく、人間の生命のかかった危険事態を避けたり被害を最小限にとどめることである。1996(平成8)年に起きた「在ペルー日本大使館占拠事件」はリスク・マネジメントでいくら考えても解決できるものでなく、完全にクライシス・マネジメントの領域になる。

 多くの人命やフジモリ大統領の政治生命、ペルーの国運がかかっており、もしもトゥパク・アマル専属のテロリストが息を吹き返すと死活問題になる。これは損得を度外視しても断固としてやらないといけないクライシス・マネジメントであり、トラブル・シューティングをやらないといけない性格のものであった。

 クライシス・マネジメントは予測不能で前例がないことだ。例えば、ハイジャックは何回起っても全部条件が違い、全部対応が違う。そのため、危機管理には「必勝の方程式」はない。一方のリスク・マネジメント、クライシス・マネジメントとは逆に予測可能である。例えば、ブラジルに工場進出するとしたら、いくらかかるのか計算できる。

 クライシス・マネジメントは、経験則からくる蓋然性というものはあるけれども、常に五分五分、「マイナスを小さくすることがプラスである」という発想をもたないといけない。このことが、プラスを増やしていくためのリスク・マネジメントと、人間の命を救うためのクライシス・マネジメントとの本質的な違いである。

 そのうえ、クライシス・マネジメントはやり直しがきかないし、解決策はコンピュータでなく人間が最終的に決めないといけない。

 日本でもリスク・マネジメントという考え方は早くから入っていた。特に高度経済成長の時代、メリットとデメリット、アドバンテイジ advantage とディスアドバンテイジ disadvantage を賃借対照表のように対比させてリストアップをし、会議や検討会、現地調査を行ったり、あるいはパイロットプランをやることで、マイナスやリスキーなことを保険で回避していた。こうしたことを行い、最終的に経営者の決裁で行うのがリクス・メネジメントである。

 海外進出企業は、必ずカントリーリスクについてのリスク・マネジメントを行う。政治状況、人件費、輸送費等々様々な角度からの情報を集めコンピュータや確率論・未来推計学等を駆使して、プラス面とマイナス面を検討する。しかし、決定的に不足していたのが、クライシス・マネジメントの考え方である。

 また、クライシス・メネジメントでは、人間の意思や憎悪、感情の起伏、睡眠不足、判断ミスなど、これまでの前例の真似ができないような要素が入っており、マイナスを最小にするための最悪の事態を前提とした計画を立てなくてはいけないため、決裁している時間はない。

 平時における組織体の基幹意思決定、つまり政策決定の最終的な方法は、普通はプラニングである。プロジェクト・チームをつくり、プラニングにかける時間がある。

 

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危機の心構え


 危機管理は減点法



 
危機管理の採点法は減点法である。うまくいってあたりまえ、失敗すれば非難される。誠に分の悪い仕事だ。

 危機管理には最善 best はない。危機に見舞われたこと自体が不運であり、マイナスなのだから「何もなかった状態」に戻してもそれで元々。得点にはならないからである。何事もなく無事に終わっても、それで元々であり、だから、そこには常に次善 second besst しかありえない。反面、危機管理のやり方をミスすると、最悪 worst の事態が起こる可能性が常に存在する。この「最善はないが、最悪はありうる」という宿命は、危機管理の特色であるばかりでなく、勝負についても同様である。

 戦いに際しては、めったに完全勝利はない。「敵ハ全滅、ワレニ損害ハナシ」という情況は稀有の例であり、所詮「勝利」とは損害の差にすぎない。しかも大敗北を喫する可能性は、これまた常に残されているものだ。


 
次善に甘んじる


 危機管理の掌に当たるものや、勝負の心構えは、次のような発想法が大切だ。

 ① 決して最善を夢みることなく、常に次善に甘んじる覚悟で臨むこと。

 ② 事に臨んでは、まず最悪を想定し、最悪な事態が起こったときの対処ぶり、「大敗北」を喫したときの身の処し方をあらかじめ決めておき、生き残りのための方策を講じておくこと。

 これは、欧米流の危機管理上の心得の一つで、「最悪に備えよ」という言葉でよく使われる発想だ。

 ③ 「リスク計算」を周到に行い、起こりうべき悪い事態やより悪い事態に備えて、応用問題の答案を用意しておき、もしなにか起こっても読み筋の危険 calculated risk として対処すること。

 ④ 計画の立案とその実施に当たっては、「悲観的に準備し、楽観的に実施する」ことを旨とすること。

 ⑤ 損害が生じたときには、ただちに「被害局限措置」を講ずること。

 「負け」を覚悟で取り組んで勝った場合、その喜びは倍化されることだろう。危機管理や勝負の世界で、もっとも戒めるべき態度は、この逆の「楽観的に準備し、悲観的に実施する」という姿勢である。

 「いや、どうってことないですよ。心配無用。何か起こりゃ、そのときはそのときですよ」といった、粗雑な楽天家が計画を立てて、心配性でものごとを暗くみる悲観論者が自信なげにその計画を実行し「リスク計算」をしてなかった予想外の難局に直面するとたちまち戦意を失うというやり方がいちばん拙劣なやり方だろう。

 用心深いリスク計算を臆病と同一視して軽視する豪放ぶった指揮官のほうが、かえって危機に直面し、限界情況に陥ると、急に悲観的になり、惑乱することが多いようだ。

 危機に対処するに際しては、まず考えうる最悪の事態を想定し「最悪に備えよ」という立場から、それに対する対策の検討から始めて、次に「より悪い状態」「悪い状態」に対する準備を積み上げて計画を練り上げていく。そしてその計画を実施に移せば、予想された悪い事態が起こったとしても、それは「計算ずみの危険」として対応策が準備されているし、なにも起こらなければ、それは予想よりも良い情況であるから、それだけ気楽にやれるわけだ。

 例えば、東日本大震災においては、8000人、2万人、5万人、10万人と自衛隊の逐次投入が行われた。これは最初から大きく構えて10万人とすべきだったのである。「目の前で危機が起きているのに人手不足で対応できない」という事態は絶対に避けなければならないからである。要員の規模は、それほど必要ないとわかったときに縮小すればよいからである。最初に小さく構え、後で大きくすると不安を煽ることになる。


 
価値ある無駄骨折り


 多くの人は、心血を注いでリスク計算をし、最悪に備えて悲観的に準備して事に臨み、無事に任務を達成したとき、「なんだ、結局は取り越し苦労だったではないか」と懐疑的になる。その結果だけをみて、「無駄骨折りをさせられた」と愚痴をこぼす部下もいるだろう。

 たしかに平穏無事に事が終わったとき、「最悪に備えよ」の精神で、あらゆるリスク計算を織り込んだ諸計画は日の目をみることもなく、そういう陰の努力があったことさえ誰にも知られられないまま、くずかご行きとなる。そして、そのために危機管理の責任者たちが人知れず支払った代償、すなわち、返上した土曜と日曜、眠らなかった、あるいは眠れなかった夜々、果たせなかった子どもたちとの約束、心労のあまり白くなり薄くなった頭髪など、誰にも評価もされず、感謝もされないまま、忘れ去られていく。

 しかし、危機管理のための発想としては、それを「無駄骨折り」だとか、「取り越し苦労」だとか思ってはいけない。「なにもなかった」のと、「なにもないようにした」のとでは違うのである。多くの人はこの区別がわからない。しかし、実際にその任務に就いた者は、自分が必要な措置を講じて未然に防止した部分があることを知っており、それをひそかな誇りとしている。不幸にして「最悪」の事態が起こり、しかもそれに対処する「リスク計算」がなかった場合の混乱と悲劇とを考えれば、その無駄骨折りは「価値ある無駄骨折り」というべきであろう。

 また、「悲観的に準備する」ことと、「悲劇的であること」とは、まったくスタンスの違う考え方であることも銘記しておくべきだろう。計画の実施に当たっては「悲観的準備」と「リスク計算」が終わったら、それから先は「人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ」の心境で、陽性に、楽天的に行動することが成功の秘訣である。人生の成功者は、どちらかというと本質的には、「明日になれば必ず朝がくる」と信じて疑わないタイプの陽性な人物が多いのではないだろうか。



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